子どもにあたたかい心を育む

目次

第1章 シルクロードの旅とあたたかい心(PDF)

第2章 周産期医療から学ぶあたたかい心(PDF)

第3章 周産期医療から学ぶあたたかい心(抄録)

第3章 周産期医療から学ぶあたたかい心(抄録)

私は約40年間、母と子の医療に携わってきましたが、最近になって脳性麻痺や知能障害も無いのに、学校などでみんなと一緒にやっていかれない子どもが増えてきたことに気づくようになりました。その原因は、相手を理解するために不可欠な「心」が育まれていない結果であることが、近年の脳科学の進歩によって明らかにされてきました。この大切な事実について、「なぜそうなってきたのか。どうすればいいのか。」を、子育てにかかわる方がたに伝えるのが、専門家としてのわたしの義務であると考え、ローマから奈良までのシルクロードを旅しながら、この重要性を話してきました。

感動したり人を愛したりという心の作用は極めて複雑で、まだよく分かっていませんが、それは脳の前頭葉を中心に行われていることが知られるようになりました。かつて凶暴な犯罪者や精神病者の治療として、前頭葉切除術という手術が行われましたが、その結果は日常の生活には大きな支障を来さないものの、マスクをかぶったような無表情な人になることが記録されており、心と前頭葉との深いつながりが明らかになりました。
 人間の脳の中で、前頭葉がどのように心の中心的な役割を果たしているのでしょうか。たとえば林檎を正常な脳が、どのように捕らえるか、を考えて見ましょう。まず目などの五感から入った赤い・丸い・良い匂いがする、などの情報が前頭葉に送られると、これまでに蓄積された記憶という情報と一瞬の間に統合され、それは林檎であると認識されると同時に、小さいときに亡くなった母親と一緒に食べた記憶と連動し、その情景の懐かしさや亡くなった母親を思い浮かべた悲しい気持ちなど、次々と広がって行きます。前頭葉の機能が不十分だと、「それは林檎である。林檎は食べられる。」といったレベルで止まり、他人との連なりを思うような感情が出てこないのです。単に「赤い・丸い」と読み取り、それが食べ物である林檎に似ていると選別するのはコンピューターやロボットのレベルであり、そこからさまざまな感情を沸き立たせる心の作用は、それを桁違いに超えた高次脳機能と呼ばれるものなのです。
人間の心の作用とは、相手の声・表情・周囲の状況などの情報が前頭葉で処理され、「今あの人は悲しんでいる。だから慰めてあげよう。」という、前頭葉前野での高次脳機能が働くことです。このような脳機能が働かないと、他人の心を読めないので、平気で他人を傷つける言動をとってしまうのです。
人という生き物は、相手の気持ちを読み取って社会という集団で生きる能力を持っているところから、人間(人と人との間が分かる)と呼ばれるのです。人間はあらゆる動物の中で、その中枢である前頭葉が最も発達していますが、それは生まれてから最も時間をかけて成熟する場所なのです。ですから人間の赤ちゃんも、生まれた時は前頭葉はまだ未熟ですので、育児の中で前頭葉の機能(すなわち心)を育むことが大切なのです。

それでは、どのようにして赤ちゃんの脳は育まれるのでしょうか。私たちの脳は、膨大な無駄といわれるほど過剰にできた脳のネットワークの中から、不要なものは取り除かれ必要なものが選ばれて発達してゆきます。そのためには脳への適切な刺激が必要であり、放って置かれれば脳の適切な発達はないのです。一方、赤ちゃんにストレスとなるような不適切な刺激は、逆に残るべき脳のネットワークが消えてしまうような、マイナス発達をすることも知られています。
人の心の中枢と言われる前頭葉においても同様で、その発達を促す「やさしさ」をもって育てられた児と、ストレスの多い環境で育てられた児を比べると、前頭葉の発達に差が見られることが示されています。これで、養育者の「やさしさ」があかちゃんの心を育てることが分かったと思います。

私は医療者として、子供達の命を救うことや身体的障害を少なくする医療に一応の成功を収めながらも、子どもの心を救う医療においては無知であったことを深く反省しております。「やさしさの育児」が子どもに「やさしさの心」を育ませることの重要性が明らかとなった今、医療者のみならず、子どもに関わる者すべてが、人類の未来を救う役目を負っていることを忘れてはけないのです。

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