人間はなぜ感動するか

目次

プロローグ

1 感動とは

2 人間は何に感動するか

3 感動の脳科学的メカニズム

4 感動と宇宙及び地球の誕生

5 生命を感じる心と感動

6 人間と心の出現 参考文献

プロローグ

 感動とはなんであろうか、と考えていた私の心を動かしたエピソードの一つは、天満淳子の演奏する「望郷のバラード」を巡るものである。その曲は、ポルムベスクが故国ルーマニアの独立運動に参加して投獄された時に、故郷を偲びつつ、また恋人に思いを馳せながら作曲したもので、長く国歌として親しまれていたが、チェウシェスク独裁となって別の歌に替えられていた。その曲の楽譜が、ウイーンの酒場でルーマニアの亡命バイオリニストから日本の若き外交官に託され、その16年後に天満敦子が日本での初演を行った。1993年12月8日、東京のフィリアホールを埋めた聴衆の多くが、初めて聴くその曲に涙したのである。私自身も、はじめてそのCDを聞いた時に、全くその曲の背景を知らないながら、なぜか心の琴線に触れる切々たる調べに涙した一人であった。
 私が1984年に北里大学から女子医大に移籍した理由は、当時東大産婦人科教授であった坂元正一先生が、定年退職後に新しいコンセプトで大学に周産期センターをつくるので、新生児側から手伝ってくれるように誘われたからである。その時は坂元先生をあまり存じ上げなかったので、どんな方かと東大の古めかしい階段教室で行われた最終講義を聴講に行った。坂元先生は、200枚余の教室員の研究成果のスライドを怒涛のように示しながら学術的な講義をされたが、その最後に白板に黒々と達筆で「感動なき民族は滅びる」と書かれた。講義の内容とどんな関連があるのかと興味を持って聞き耳を立てたが、なんと坂元先生は無言のまま涙を流し、演壇を下りたのである。それで、この人と仕事をしよう、と決めたわけである。何度か坂元先生に「感動なき民族は滅びる」の意味を尋ねたが、いつもニコニコ笑いながら言葉を濁されていた。

 世の中には理屈ぬきに人の心を揺り動かすものがある。それに触れて人は感動という経験をする。その事実を医師として、医学者として、少し掘り下げてみようとした軌跡が、私の今回の講義のテーマである。

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1 感動とは

 広辞苑には「ある物事に感じて深く心を動かすこと」と記載されているが、類似した言葉の感激(心が揺さぶられる)や感銘(心に残る)のレベルを超え、その後の生き方に恒久的な影響を及ぼしうる心への強いインパクトを受けることと言えよう。すなわち、単に素晴らしい印象的な経験や体験としてだけでなく、共感・共鳴して自らの心自体が反応し影響を受けることなのである。
 興味ある事は、感動の多くが心に働きかける力学として、事前の期待と実際に起こったことのギャップから生まれることである。例えば、初めてナイアガラの滝を見た人の多くは自然の雄大さに心を打たれるであろうが、写真や映画で既にどんなものかを見て自分なりの想像をしている人は、写真と同じだね、と感動のレベルに達することが少ない。
 感動には、驚きとしての感動・達成感としての感動・充実感としての感動などがあるが、本質は理屈を越えた心の作用であるところから、以下にあげるような様々な感動の種類も、単に感動をもたらす誘因による違いといえよう。
   
感覚的感情[快感]   : 運動・スポーツ・食べ物などからの感動
生命感情[健康感]   : 病・苦しみからの奇跡的回復、
心的自我感情(眞善美) : 美しい景色、本物の芸術、

人格感情[聖人的行為] : 神への畏敬、献身的・人間的行為

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2 人間は何に感動するか

 個人的な体験として、これまでの人生の中で感動したことを例として挙げて見ると、ブラームス交響曲第一番(音楽)、暗夜行路(小説)、第三の男(映画)、タカラマカン砂漠の夕日(自然)、厳冬のポトマク河での飛行機事故(出来事)、ウルトラマラソンのゴール(到達感)などがある。
 最初の音楽・小説・映画などは、その作品が持つ本物の真善美が、人間が本来持っている心の琴線に触れて感動を呼び起こしたものである。私の恩師である坂上正道(北里大学医学部名誉教授)は、学生講義の冒頭にモーツアルト交響曲第40番ト単調K550を流して、世の中に本物がある事を教えようとしていた。彼の言う本物とは、理屈を越えて人の感性に触れる物、すなわち「感動をもたらしうる物」と言えよう。感動のレベルに達する心の共鳴は、作品が本物と呼ばれうるレベルである事と同時に、受けての人間がそれを感じ取る感性を持っていなければならない。
タカラマカン砂漠の夕日がなぜ感動をもたらすかを考えてみると、単に美しいを超えた何かがあるはずである。それは、大自然の中で育まれた人間としての原始記憶が蘇えり、無意識の内に心の琴線が鳴り出すのであろう。例えが適切でないかもしれないが、飼い犬が救急車のサイレンを聞くと、狼のような遠吠えをするのも、無意識の内に原始記憶が蘇るからと言われている。すなわち大自然に接して、我々がその一部であることを感じる体験が、景色や自然の出来事に感動するキーワードと考えられる。
 厳冬のポトマク河での飛行機事故のことは少し説明が必要であろう。1990年の冬、ワシントンで雪の中を離陸した飛行機がポトマック川に不時着し、TVで多くの人が見ている中で救出作業が行われたが、一人の男性が自分のライフジャケットを女性客に譲り、彼は厳冬の河の中に流されていったのである。その彼の行為に、多くの人が感動したのは、人間として共に生きる仲間の言動・存在に心が共鳴したのである。人間という言葉は、中国語では「じんかん」と読んで世間一般の意味であり、「にんげん」と読むのは大和言葉で共に生きる人の意味である。私達は生物的な存在の人のレベルを超えて、相手を思いやる心を持った社会的存在としての人間のレベルに進化している。その共に生きる人間としての言動が、心に響き感動を呼び起こすと考えられる。
 ウルトラマラソンのゴールの感動は、苦しい中からの到達感から生まれるものであるが、それは生きている自分の命の存在感の確認であるともいえる。癌などの病気からの奇跡的回復や大事故からの生還などの際の感動も、生きていること・生命の輝きに触れることによるものである。

 纏めてみると、共に生きるために相手の心を読み取る感性を高次脳機能として獲得した人間は、その感性に触れるものや体験に感動するのであり、その具体的な内容とは、本物の真善美であり、命の輝きであり、大自然であろう。

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3 感動の脳科学的メカニズム

 脳機能からみた感動するという現象は、五感および運動感覚を介する外部からの刺激情報(音楽・景色・故郷の香り・到達感)が、大脳周辺部においてその感覚情報が美しい・気持ちが良い・素晴らしいものとして評価されると、前頭前野の高次脳機能の深い記憶(命の原始記憶・懐かしい思い出)が呼び覚まされ、それによって報酬系が刺激されてドーパミンやエンドルフィン等のサージがおこり、脳機能全体が高揚する状態になること、と言えよう。
 通常の脳機能は、入ってくる情報をこれまでの記憶や経験と照らし合わせて、それが何であるかどんな意味があるかなどの評価を受ける。例えば、五感による丸い、赤い、良い匂いがすると言う情報と記憶情報から、それがりんごであると判断され、同時に大脳皮質からの抑制を受けて理性的な行動に修飾されるので、直ぐおいしそうなたべものだからと飛びつくことはしない。さらにその情報が、前頭前野の高次脳機能でさらなる評価を受け、筆者の場合であれば、りんごが有名である故郷から亡くなった母親の思い出に、さらに島崎藤村の初恋の詩の一節「やさしき白き手を述べて、りんごを我に与えしは、薄紅の秋の実に、人恋染めしはじめなり」に連なり、物思いに浸ることになる。

 しかし感動する場合は、大脳皮質からの抑制をジャンプして、直ぐに大脳周辺部の報酬系からのドーパミンのリリースに繋がる現象であるところから、それがどんな意味があるのかを判断する以前に、身体的な恍惚感に通じる高揚感が生じる。このように理屈を超えた感情であるところから、期待してみた景色や経験からは感動が薄く、思いがけないことが感動の大きな要素となる。その報酬系の思いがけないサージである感動は、性欲・食欲などの本能のレベルを超え、より高度な高次脳機能の感性に作用して、これまでの人生に関係する根源的な記憶を震わせるところから、脳に強いメモリーとして残り忘れられない思い出となる。

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4 感動と宇宙及び地球の誕生

 これまで述べたように感動とは、知識や理屈を積み重ねた思考過程をバイパスして、深層心理の中から人間本来の記憶が突然に表出してくるものであり、ある意味で神の啓示を受けるような宗教的体験に共通項を持つと考えられる。そのような感動や宗教的な啓示を経験するためには、それを受ける人間に高い感性が備わっている必要であり、生まれつき感受性の高い人もいるが、心の修行によって感性を磨かなければならない。
 立花 隆は、宇宙飛行士へのインタビューを基にした著書「宇宙からの帰還」の中で、彼等の多くが宇宙空間の体験において、宗教的インスピレーションを受けたことを記載している。それは、宇宙船外に出て作業する宇宙飛行士が、自分を取り巻く漆黒の世界の中で、眼下に浮かぶ母なる緑に輝く地球を目撃した体験から、地球を一つの生命体であるというガイヤ(Gaia, ギリシャ語の大地)と受け取り、「我々は、母なる星地球がどれほど美しいのか、を見るために生まれている(ジェームズ・ラブロック)」という思いに駆られるからであろう。釈迦やキリストのような大天才は、地上に居ながら、このような我々が宇宙という物理的と時間的空間に漂う存在であることを、直感的に感じたのではないかと考える。
  宇宙はUniverse(森羅万象)の言葉で表現されるが、それはすべての空間を含む無限の広がりの意味である。その他に、Cosmos(ギリシャ語の美しい秩序)という表現もあり、多くの国づくりの神話は、混沌(chaos、カオス)の中から次第にある形(秩序)が出来てきて宇宙cosmosが出来た話しになっている。しかし最新の宇宙学では、我々の宇宙は137億年ほど前に、何かのきっかけで無の世界からの位相の転換(インフレーション)が起こり、それに引き続く大爆発(ビッグバン)から宇宙が出来たと考えられ、むしろcosmosからchaosの方向に向いていると考えられている。
 人間の英知は、最初の瞬間の宇宙はほぼ電子の大きさ(10−12cm)であり、ビッグバン後10−43秒[プランク時間]に時間・空間・物質のすべてが生まれたことを論理的に証明している。すなわち、針の先よりも小さかった原始宇宙が、137億年の時間の間に137億光年のひろがりをもつ現在の宇宙になったのである。2008年のノーベル物理学賞を受けた3人の日本人の業績は、「対称性の破れ」という空の中から物質が生まれる理論であったが、そのような学問的な説明がなされているとはいえ、私たちにとって宇宙はまだまだ神秘のベールの陰であり、宇宙という言葉に神や神秘的のものを感じるのは当然であろう。
 宇宙が出来て90億年ほど後、今から45億年ほど前、に太陽とその惑星としての地球が誕生した。この地球は、エネルギー源の太陽から絶妙な距離にあり、 さらに自転することによって熱配分するという、太陽系惑星として絶妙な位置関係にある。また、水を留めておくことが出来る重力を有しているところから、命を育むことの出来る奇蹟の星と呼ばれている。いろいろな条件が、余りに地球にとって好都合であるところから、単なる偶然を越えて、この宇宙そのものが地球を、そして命と人間を生み出すために出来たのだ、とする「宇宙人間原理論」を真剣に考える学者達がいる。
 更にそのような観念的な人と宇宙の繋がりとは別に、私達はみんな宇宙の落とし子であるという事実がある。私達の身体を構成している元素の中で、鉄より重い亜鉛・銅・金・銀などは、私達の太陽系では作れず、超新星が爆発する際の高圧・高温下で作られ、それらが宇宙を漂って隕石などの形で地球に舞い降り、やがて私達の体の重要な構成要素となったのである。

 私たちがオーロラの美しさや砂漠で満天の星を見る時に体験する言い知れぬ感動は、自分が宇宙の一部である事をどこかで感じる心の共鳴ではないだろうか。

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5 生命を感じる心と感動

 生命とは何であろうか。例えばタバコモザイクウイルスそのものはデオキシ核酸(DNA)という物質で、そのままでは全くなんの変化もないが、細胞の中に入るとそれが、同じ状態に保つ(恒常性)・同じものをつくり出す(生殖能)・外界に適応して変化してゆく(適応力)という生命体としての性質を発揮する。このように近代の分子生物学のレベルでは、生命体と物質の狭間はなく両者は連続したものである、と理解されている。しかしながら、浜辺で何気なく見た貝殻が、例え破片となっていても小石と区別できるのは、貝殻には動的な秩序がもたらす美しさがあり、小石に無い生命を感じるからである。その物質と違った生命体の持つ秩序とはなんであろうか。
 生命体はある秩序を保って存在しているが、その中身は絶えず今の状態から次の状態に入れ替わっており、その方向は誕生の瞬間から死に向かっている。私達の身体も、それを構成している細胞が、絶えずapoptosisによって新しい細胞に入れ替わりながら、生命体として限られた寿命を生きている。それは川の流れが我々の目には変わらないように見えても、そこを流れる水は絶えず入れ替わっている、のと同様に考えることが出来よう。この世のすべての物質は、熱力学のエントロピー増大の法則に従って時間と共に空間に拡散して、その物質としての特性を失う運命にある。川に水が流れるように絶えず変化する現象は、そのエントロピー増大の法則に抗して、生命を存続させる生命体の戦略なのである。あらゆる物質の中で生命体が特殊であるのは、絶えず生まれては死ぬ連続によってエントロピーをリセットして、その死から新しい生命体を産みでして行くことである。まさに、「一粒の麦、地に落ちて死せば、新しき実りをもたらす。」であり、その現象は生命体のダイナミックな流れからなりたつ動的平衡状態と表現されている。
 更に生命体は35億年の時の流れの中で、死によって新しい生命を作り出す時に、自らの遺伝情報を次世代に受け渡す作業を延々と続けてきた。その作業の過程で生命進化が起こり、アメーバーから魚類・爬虫類を経て哺乳動物、そして我々人間が出来てきたのである。その分子生物学的証明が、生物のDNAの基本構造は細菌から人間の細胞まで同じなのである、という事実である。さらにDNAというアルファベットから、蛋白という文字を紡ぎ出され様々な生命体という沢山の文章が書き上げられ、その最高傑作が人間であると言えるであろう。

 このように私達は生命の流れの中の一員であるところから、生命体に物質と違ったものを感じるのである。更に、私たちは「いのち」という言葉に、単なる特別な物質の集団である生命体のイメージを越え、共に生きようとする意志(あたたかい心)を持った生命体を感じるのである。私たちが生命体そして「いのち」に、理屈を越えた感動を感じるのは,それが生命現象という大きな流れで連続している我々の一部であり、さらにあらゆる物質の中で特殊な存在であることに由縁するところから、「私たちの心に働き掛ける何物か」があると考えている。

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6 人間と心の出現 参考文献

 これまで人類は共に行きる心をかち得て人間になったことを述べたが、なぜ人類が共に生きる心をかち得たのであろうか。それは、人類が生き残る知恵として勝ち得たものである、という思いに至った切っ掛けは、私が主催した学会に呼んだ関野吉晴氏の講演であった。医師であり冒険家である関野氏は、人類の足跡を辿る5万キロ余の旅の為にアラスカで何ヶ月は過ごした時、イヌイットの人たちはこの厳しい自然の中で生き残る知恵として何が一番大切としているのだろう、と興味を持って訊ねたところ、イヌイットは弓矢や犬そりではなく、なんと「共に生きる相手を思う心である」と答えたという。彼等はその生きる知恵を、先祖から受け継いでいたのである。実は、関野氏を特別講演に呼んだ学会のメインテーマが「周産期医療とあたたかい心」であったところから、その偶然に少なからず感動したのである。
 近年の倫理学・脳科学の進歩の中で、幾つかのすぐれた学術論文や著書が出版されて、倫理的思考は脳機能の中にアプリオリ(先天的)に組み込まれていることが定説となっている。倫理とは、倫(仲間)を第一義にする理由付けする思考過程である。我々の祖先は、最も弱い生き物である人類が生き残るためにはお互いに力をあわせて助け合わなければならないことを学んだが、その具体的な戦略が「共に生きるあたたかい心」すなわち倫理なのである。ライオンやシマウマなどの動物も群れをつくって生きているが、そのレベルは、身を守る・餌を得る・生殖をする、という功利的な目的である。人類は、より高次元の相手との信頼・尊敬・愛情といったレベルで結び付き、共に生きていることの大切さを、何百万年の進化の過程でかち得たのである。
 人類が二足歩行を始めたこと,手を使うようになったこと、言語を操るようになったことなどにより、前頭前野を中心とした高次脳機能が発達し、人と人とのcommunicationという最も複雑な脳機能が可能となった。それが心の中枢に発展したが、いわゆる「心の理論」とは「他人の気持ちを理解する」ことであるところから、相手の痛みや苦しみを自分の痛みや苦しみと感じ取ることが出来る「あたたかい心」が、いかに私たちが共に生きてゆく為に大切であるか、理解できるであろう。

 人類は、進化の過程で相手を思う倫理観を獲得し、高度なcommunicationの必要から言語を獲得し、更なる高次脳機能の発達が心の中枢を獲得したと考えられる。感動は人間が獲得した心の表出の一つの形であり、動物が夕日を見て感傷に浸ることはないと考えられる如く、感動の無い人は、人間を人間としている心の発達に問題があるといって過言ではない。残念ながら、記憶力や計算力などIQ検査で評価できる知能は優秀であっても、感動に結びつく感性の無い人が増加していると言われる。病気だけを診るのでなく、人間として患者を診ることが大切な医療者に、感動の無い人は相応しくないことは言うまでもない。そのことが、坂元正一先生が最終講義で言われた「感動なき民族は滅びる」の言葉に通じるものと考え、ようやく長い時を経て、捜し求めてきた答えの一端がおぼろげながら見えてきたような気がするのである。

 

参考文献

1 高橋のぶ子 :百年の預言、朝日文庫、東京、2002

2 立花 隆  :宇宙からに帰還、中公文庫、19853

3 福岡伸一  :生物と無生物のあいだ(生命とは何か?)講談社現代新書、

4 アーウィン シュレーヂン−ガー(岡・鎮目訳):生命とはなにか・物理学的に  見た生細胞:岩波書店、2008(初版1944)

5 関野吉雄  :特別講演,第43回日本周産期新生児学会

 

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