あたたかい心の本

目次

序にかえて:なぜこの本を書くようになったのか

第1章 子育てと「あたたかい心」
第2章 日本の子育て環境の変化
第3章 母と子の絆
第4章 「あたたかい心」とは
第5章 人はいかにして「あたたかい心」を学ぶか
第6章 「あたたかい心」の根源 —連続と不連続の思想—
第7章 「あたたかい心」を育む医療
第8章 脳科学と「あたたかい心」
第9章 子どもにあたたかい心を育む運動とシルクロード
第10章 家族という名の砦

終わりに あたたかい心が幸せのキーワード

序にかえて

はじめに

 この本は、2003年に「子どもにあたたかい心を育む」ことの重要性を伝える目的で、バァチカンからイスタンブールまで2、500kmを走っている間に、心の奥から突き上げられるような勢いで、そのほとんどの構想が組み上げられました。 元々このシルクロードランニングジャーニーは、私の個人的なシルクロードを走りたいと言う思いが主たる動機で始まったのですが、各地で「あたたかい心」の講演を続けている間に、このメッセージを伝えることの重要性を、自分で自分に納得させる結果になったのです。勿論それまでにも、伏線としての多くのエピソードがあったのですが、これを書かなければならないという、私に与えられた使命のようなものを感じたのはシルクロードを走っている時でした。それは、私が母と子の医療に永年携わってきた経験から学んだことに加え、最新の脳科学の進歩に基づく知見に触れたことから、「あたたかい心を育む」ことが子育ての上で極めて重要な事柄であることを確信したからなのです。
 私がみなさんに伝えなければならないと思った事とは、一言でいえばこの本のタイトルの「子どもにあたたかい心を育む」ことの重要性なのです。これまで漠然と当たり前のように思っていたこの事実に科学の光が当てられ、今までのおまじないのようなお説教でなく、説得力を持ってみなさんにお話出来るようになったのです。この単純に見える事柄が、どれほどの深みと広がりを持つか、また子どもの幸せを越えて世界の平和にまで連なるか、を読み取っていただければ幸いです。
 21世紀は、2001年9月11日の同時多発テロに象徴されるごとく、テロという憎しみと暴力を象徴する出来事で幕開けされました。さらに、イラク紛争や北朝鮮の核実験を挙げるまでもなく、世界は加速度を持って滅びの方向に向かっています。このままでは、わたしたちの子孫は22世紀を迎えることが出来ないのではないか、とさえ危ぶまれています。一人の人がテロで殺されると、その人を愛する何人もの家族や友人が相手を憎み、次のテロを引き起こしかねません。そしてそのテロが次の憎しみを生み出すのです。正にテロは憎しみの連鎖を引き起こすのです。
核分裂は中性子が衝突することによって起こり、分裂したウラニウムからは僅かな熱エネルギーと何個かの中性子が発生します。その中性子が周りのウラニウムに当たると同じことが起こり、そこから新たに中性子がばら撒かれて核分裂するという連鎖反応で、瞬時に膨大なエネルギーが発生し原子爆弾となります。発生する中性子を吸収する制御棒によって、核分裂をユックリ起こすようにすれば、そのエネルギーは原子発電のように平和使用ができます。
 テロの連鎖反応を力やお金で押さえ込むことが出来ないことは、イラクやアフガニスタンの経験で明らかです。テロを抑えるには、憎しみの連鎖反応を断ち切らなければなりません。その憎しみの連鎖を止めるのには、中性子を吸収する制御棒のように、発生した憎しみを吸収する人が増えれば可能でしょう。憎しみを吸収することが出来る人とは、「あたたかい心」を持った人のことなのです。ですから大げさなようですが、子どもにあたたかい心を育むことは、その赤ちゃんを幸せにするだけでなく、この世界を救う唯一の方法なのです。

 この本は、読んだ内容が直ぐ子育てに応用出来るような、子育てのハウツーものではありません。もともと子育てというのは、「こうすれば良い」、などというものはないのです。人間が一人一人みんな違うように、赤ちゃんも一人一人違うのです。おかあさんの置かれた状況も、子育ての環境も違うのですから、その組み合わせを考えただけで天文学的なバリエーションになります。ですから、あるお母さんに、その子の育て方を具体的にどうしなさい、などと言う事は、どんな専門家でも出きるはずがないのです。
 この本を読んで、「赤ちゃんは素晴らしい。私はみんな、かってはこんな素晴らしい赤ちゃんだったんだ」、という気持ちになって子供を見守れば、どの子もみんな必ずやさしい子になります。やさしい子どもの方が、賢い子どもより百倍も素敵なのです。赤ちゃんは育てるのでなく、持っている素晴らしい力で育つのです。まず第一章を読んで、赤ちゃんの不思議な力を感じてください。 それを信じれば、子育ては自ずから素晴らしいものになるなるのです。

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第1章 子育てと「あたたかい心」 

第一章: 子育てとあたたかい心

1)子育てとは
  子育てに関連する「育つ(そだつ)」という言葉は、「鳥が親の庇護を離れるようになる」ことを意味する「巣立つ(すだつ)」に由来すると言われています。すでに1000年以上も前の私たちの祖先が編んだ素晴らしい歌集である万葉集の中に、「吾が子羽含め 天の鶴群れ(たづむれ)」および、「武庫の浦の 入江の渚鳥(すどり)羽裏る(はぐくもる) 君を離れて恋に死ぬべし」と歌われているごとく、「育む(はぐくむ)」という言葉の語源も鳥に関連し、羽裏る(はぐくもる)」および「羽含む(はぐくむ)」であり、いずれも親鳥が卵を自分の羽の中で抱き締めて暖める姿をあらわすものです。
 人間の母親に置き換えれば、ひたすら子どもを抱きしめ、自分の体温だけではなく愛情を子どもに与える姿です。その時に親鳥は、この卵が孵り、無事に育って巣立って行くことを願うだけで、自分に何の見返りも求めていないのです。同様に人間の母親も、「子どもが大きくなったら金持ちになって自分に大きな家を造ってくれるかも知れない。」などと考えるはずはありません。英語の子育てを表すraise a childやrear a childは、各々「奮い立たせる・昇進させる」や「飼育する・栽培する」という意味であることを考えると、私は日本の子育ての基本的な考え方が、この『羽含む』という言葉を語源としている『育む』にその原点があることを誇りに思っております。
 日本人は、どのようにしてこのような育児観を持つようになったのでしょうか。島国という限られた土地の中で、移り変わる季節に合わせて共同作業しなければならない手間隙の掛かる稲作を生活の糧に取り入れた我々の祖先は、仲間同士が助け合って共に生きてゆくことが、生きてゆく上の大切な規範でした。その中で最も弱い仲間が赤ちゃんでした。今でこそ日本の新生児医療は世界一で、そのお陰で赤ちゃんが最も亡くならない国になっていますが、私が生まれた1942年(昭和17年)の乳児死亡率(出生1000人あたりの1才までに亡くなる子どもの数)は約100でしたので、その頃は「おぎゃー」と生まれた子どもの10人に1人が1才までに亡くなっていました。事実、私は7人兄弟でしたが、一番上の兄はジフテリアで亡くなっています。その当時としては、それは当たり前のことだったのです。ですから、日本の子育ての伝承の中には、お宮参りや七五三なでの子どもをめぐる多くの通過儀礼があるのは、ここまで元気に育った、という親の喜びと神への感謝の意味があったからなのです。
 私たちの子育ての伝統の中で、いかに小さな子どもを大切にしていたかは、ルイス・フロイスなどの西洋人が日本の印象を書いている本の中にも、『日本人ほど子どもを可愛がる国民はいない』と記載されています。その中に、逆に「間引き」という嬰児殺しが日常的に行われていたこともマイナスのイメージで記載されています。しかしそれは、避妊法を知らない貧しい子沢山の農民が、涙を流しながら手を合わせて「間引き」を行わざるを得なかった時代であったからと考えるべきでしょう。また、日本特有の水子地蔵と呼ばれる、生まれる前に亡くなった子どものお墓のことに関しても、新興宗教による親の罪の意識を利用した商業的な現象である、と見る人がいますが、それは決して単に罪の意識からだけでなく、亡くなった子への親の慈しみの表れなのです。私が関係している周産期(生まれる前後)に子どもを亡くされた親の会の方々で、流産や死産で亡くなったお子さんの供養をしている方をたくさん知っています。そのような母親達が(生きた子どもを産まなくとも、それだけ子どもを思う女性はもう立派な母親と呼んで良いのです。)、インターネット上にその悲しみの気持ちを語ったことから、お互いに知り合い自然発生的に「誕生死」という一冊の素晴らしい本が出来上がっています。
 このように日本の母親が、何年経っても亡くなったお子さんの写真や仏壇の前にミルクや玩具がお供えしている姿は、西洋の人達にはとても信じられないようです。子育てを含めた私達の文化は、移ろい行く自然の恵みの中で、共に生きて行くことが基本理念であり、西洋的な自然を征服しようとしたり、お互いに争って生きてゆく荒々しいものではないのです。改めて私達の祖先が残してくれた、「育む」という言葉の持つ意味の深さに思いをはせれば、この素晴らしい子育て文化を持っている日本に生きることの幸せを感じることでしょう。

(2)母性の子育てにおける重要性 
 私の尊敬する元上智大学学長のピタウ大司教は、「人が人を愛することができるのは、自分が愛されていることを知るからです」とおっしゃられました。まさに人生のスタートにおいて、愛されることが如何に大切か、そして、それは日本の子育ての原点である、「慈しみ抱きしめる」に一致するのです。生まれてから最初の愛を与えるのは、赤ちゃんにやさしさを持って接することの出来る人であり、それはその子を産んだ母親であることが最も自然の成りゆきですので、あたたかい心を育む上で母親が重要な立場にあることが理解できるでしょう。
 100歳を越えられても、日本の小児科の精神的シンボルとして、私たちに大きな影響を与えていられる愛育病院名誉院長の内藤寿七朗先生は、日本小児科医会雑誌に、「こどもに関わる者は代理母という言葉を用いてはいけない。たとえ他人の受精卵を妊娠してもそれは代理妊婦であり、さらに子供を生んでも代理産婦である。母親とは子供を抱きしめることによって子供に愛を与え、そうすることによって子供から愛を与えられて、女性が母性に目覚めて母親になるのである」と書かれました。私はその記事を読んだ時に、本物の小児科医がいると、胸が震えるほど感激したことを忘れられません。多くの人も私と同じような強い印象をうけたのでしょう、内藤先生の記事が出てから新聞やテレビで代理母という言葉が姿を消し、代理懐妊とか代理出産と言う用語が使われるようになりました。
 内藤先生が言われたように、子どもを生んだけれども母親になれない女性がいることを、私達は臨床の中で少なからず経験しています。その産婦さんは、どうしても自分が生んだ子どもを可愛いと思えないのです。そのために、子育てが上手く出来ない以上に、なんと自分の子どもを虐待したり、死に至らしめてしまう事件さえ起こっていることは、新聞などの報道で気づいていることでしょう。なぜそんなことが起こってしまうのかは、女性が子どもを産んだだけでなく、母親になる為の母性が触発される過程(mothering processと呼ばれる)を経なければならないのですが、色々な事情でそれが上手くいかなかった為と考えられています。ですから、子どもを産んで育むという、女性が母親になる為に最も大切な時に、その母親と子どもを取り囲む環境が適切であったかどうかが、極めて重要である事が理解出来るでしょう。
 母の子を思う献身的な姿に衝撃を受けたのは、私の恩師である坂元正一先生のお母様が、自死によって亡くなられた事実を知った時でした。坂元先生は、御茶ノ水のカザルスホールで行われた妊婦さんを対象とした講演の中で、その事実を淡々と話されたのです。坂元先生のお母様はすでに90歳を超えられていましたが矍鑠とされており、その一年前に行われた東京女子医大の母子センターの祝い事にも、元気でお出でになられていました。坂元先生は長年皇室の御典医をなされており、近々行われることが予想されていた皇太子様の御成婚には、当然お招きに与ると思われていました。お母様にとって息子である坂元先生が、その慶事に支障なく加われることを願うのは当然のことでしょう。その年に、お母様は老人性の骨粗しょう症から足を骨折され寝込まれました。それがきっかけとなり、お母様は御自分の年齢と体力の衰えを実感されたのでしょうか、「もし自分に不幸が起これば息子の大切な皇室の慶事への参加が見あわされることになる」、と考えられ,なんと断食を超えて水断ちをされたのです。その我が子への深い思いに根ざした、想像を絶する不退転の強い意思が周囲の方々に伝わり、お孫さんまでも含めた家族全員に見守られながら、安らかに亡くなられたそうです。医師である息子が、老齢とはいえ母親が自死するのを黙して見守ることを、受け入れ難く思う人もいることでしょうが、愛情と信頼に培われた親子の心の絆は、他人には触れることもはばかられるほど毅然としたものでした。坂元先生のお話を息を呑んで静かに聴いていた若い妊婦さん方の涙は、お母様の亡くなられたことへの悲しみよりも、母親の子どもへのその強烈な思いに心を打たれたから、と思っております。
 母親が、子どもに見返りを期待しないアガペ(本来は神から人間へ与えられる無償の愛の意味)と呼ばれる絶対的な愛を与えると、そのように育てられた子どもは、たとえこの世にたった一人の人(母親)であっても、自分以外の人が自分を愛し受け入れ信じてくれていることを、心の中に刻み込みます。そのように育てられた子どもが、愛してくれた人(母親)を悲しませることをするはずがありません。それが、幼い子どもが「相手を思うあたたかい心」を学ぶ原点となります。

(3)「三つ子の魂百までも」
 赤ちゃんの時に母親に抱かれアガペを与えられることが重要である事を述べてきました。しかし他の生き物に比べ高度に脳機能が発達した人間の場合は、出生後の短い時間も大切ですが、それよりも乳幼児期にどのように育てられたかが、その後の人生に大きく影響を残すことが知られています。例えば、子どもを虐待する母親は、子どもの時に虐待された体験を持った人が多く含まれていることがデータ上に示されています。また、暴力的な罪を犯した者の中に、やはり子どもの時に劣悪な環境で暴力を受けて育てられた経験が多いことが記録されています。
くり返し反社会的な行動を取る双児の兄弟のことが記載されている「育児室からの亡霊」という有名な本がありますが、そのようなタイトルが付けられた理由は、二人が育てられた劣悪な環境がその重要な要因になっていることが示されているからです。私たち大人が、子ども達を不適切な育児環境におくことで子どもの心を蝕み、知れぬ間に人類を不幸に導く引き金になりかねない、という警告の書物です。私達が知らない間に自然を蝕む公害を出すことによって、地球環境を破滅に導くことに警鐘を鳴らしたことで有名な、レイチェル カーソンの「沈黙の春」に比べられるほど、重要なメッセージを含んだ本と考えられています。
 このように幼い子どもが、どのような環境で、どのように育てられたかが、その子どもの心(脳)に重大な影響を及ぼし、知能だけでなく性格までも左右してしまうことの重要性を指摘した言葉が、「三つ子の魂百までも」です。アップリカ育児研究会が調べたところ、同じような意味のことわざは、世界数十カ国で記録されており、 それは幼い時の育児環境の重要性を示す、世界共通の子育てにおける教訓の言葉です。子どもの時、特に最もその感受性が高い3才までに(昔のかぞえ歳ですので、現在の満の数え方ではまだ2歳です)、あたたかい環境で育てられた子どもはあたたかい心を持ち、憎しみを持って育まれた子どもは憎しみの心を持って、大人になるということです。
 このことは脳科学の面からも説明されています。(第8章参照) 急速に発達する幼い子どもの脳の中で、多くの情報を処理し、何が正しいかを適切に判断する高次脳機能を行う大脳皮質の前頭葉の発達は、やさしさの育児によって守られています。ですから、やさしさの環境の中で育まれた子どもは、衝動的となりうる感情を司る大脳辺縁系とそれをコントロールする大脳皮質が、バランスを持って発達を遂げていきます。
 それに対し、暴力的な環境で育てられた子どもは、大きなストレスを受け続けることによって、感情と理性のコントロールのバランスが乱れた状態の脳機能(心)となってしまいます。そのようなってしまった脳に外からのストレスが加わると、容易に抑制が外れて衝動的・暴力的反応が起ってしまうのです。また、このストレスが過度に逆方向の反応を引き起した場合は、引きこもりや拒食症などの異常行動として表われることも知られています。この過剰なストレスに対する反応を、英語の語呂合わせで「Fight or Flight(戦うか逃げるか)」と表現されています。現在、直ぐ切れる子どもや引きこもりの子どもが目立つようになってきたのは、子どもを育てる環境が、知らぬ間に子どもにストレス過剰な状態となっているからと考えられています。
 このように幼い子どもが、どのような環境で育てられたかによって、その子の一生の心の基盤が決定されることを知れば、「三つ子の魂百までも」の諺は、人類全体の未来を左右する程の大きな意味を持っていると言っても過言ではないでしょう。

(4)子育てと躾
 人生のスタートにある幼い子どもは、通常2才ぐらいまでは自我が確立されず、社会というものを理解する程には他人と自分との区別がついていません。ですから、すべてが自分を中心に回っていると感じており、して欲しいことを泣いて要求するのも、他人の物を取っても悪いと思わないのも、その年齢の子どもとっては当然のことなのです。 また、その頃の子どもは、全ての物が目新しく好奇心旺盛である上に、周りのことに関係なく自分のしたいことをするので、何にでも触ったりいじったりします。お母さん方にとって、子育てがハラハラの連続なのは当たり前なのです。ですから、この時期に躾のつもりで「こうしなさい」と教えようとしても、あまり効果のないことが理解できるでしょう。むしろ、過剰に「だめだめ」といって子どもの行動を制限することは、子どもにストレスを与えると共に、その感性を養うのに大切な、好奇心という芽を摘んでしまうことに繋がります。
 このような幼い子どもの対応はどうしたら良いのでしょうか。これまで述べてきたように、日本の子育ての原点に戻って、ただひたすら抱き締めて、まずは「自分が愛されているという心」を育んであげることが大切なのです。でも、私が「あたたかい心を育む」ことの重要性を話すと、必ずお母さん方から、「抱きしめるだけで躾はしなくてもいいのですか?」という質問が出ますが、それは当然の疑問なのです。ある年齢、通常2歳を過ぎた頃から、みんなと一緒に生きてゆくことの大切を教えなければなりません。それが躾なのです。
 育児の中で、「子どもにあたたかい心を育む」ことが重要であることは勿論ですが、人間はひとりで生きているのではありませんので、社会の中で他人と協調してゆくためのルールを学ばなければなりません。そのルールを子どもに教えること、身につけさせること、が躾と呼ばれるものです。しかし躾は、軍隊や運動部における厳しい訓練や、学校で世の中の仕組みや考え方を教える教育とは異なります。躾の言葉は和裁の「仕付け」に由来すると言われております。昔読んだ本に、若いお手伝いさんが奥様に、着物に「しつけ」をしなさい、と言われて、どうして悪いことをしていないのに「しつけ」をするのでしょう、と言いながら着物を棒で叩いた、という笑い話がありましたが、お手伝いさんは「仕付け」を「躾」と勘違いし、また「躾」を「折檻」と間違って理解していたのです。
「仕付け」は、縫い目を正しく整えるために仮に縫い付けをしておくことを意味します。ですから、挨拶は三つ指をついてするとか、歩く時に畳の縁を踏まないように、などの細かいことを教えるのではなく、社会の中で他人と共に生きる基本的な態度、例えば「目上の人を敬うこと」や「他人に迷惑をかけないこと」などが、自然に身につくように教えるのが躾なのです。躾という漢字は、折り目正しい習性を身についた人の立ち居振る舞いは美しい、というところから生まれたもので、素晴らしい文字となっています。
 躾に関連したことで、大江健三郎は「恢復する家族」という本の中で、やさしさを表す言葉のひとつとして、辞書にない造語ですが、「優情(ゆうじょう)」という言葉のことを述べています。彼は、優情とは、「べたべたした優しさではなく、人間に対する厳しさに起源するものであり、有情と友情と合わせたものである。」と記述しています。有情は、「うじょう」とも呼ばれ、生けとし生けるものが持つ「心のありよう」を意味している言葉ですが、無情に対比する言葉であるところから、やさしさの心を持っているという意味です。
 一方、例え友達であっても約束をいつも守らない人や借りたお金を返さない人のように、社会のルールを守らなければ、お互いを尊敬し信用し合う、という友情は生まれません。すなわち、人は本来相手を思うやさしさの心である有情を持っているが、その有情を育むためには友情に裏打ちされた社会のルールを身につけなければ、本当のやさしさを生かすことにはならないのです。まさに躾を身につけたやさしさが、大江氏のいう「優情」の意味なのです。
 私はお母さん方に、「最初はひたすらあたたかい心を育む子育てを行い、自我が芽生えるようになる頃(通常は1歳から2歳の間)から、他人に迷惑をかけないことを中心とした躾を始めるように」、と話しております。その躾も言葉で教えるいのではなく、お母さんやお父さんの毎日の生活を子どもが見ているうちに、知らず知らずのうちに身につくようになるのが、一番素晴らしい躾と思っています。ですから躾の本質は、学校で教える教育ではなく、家庭で自然に身につける学習である事が理解できるでしょう。

  1. (5)子どもに祈る

 日本には古くから「7才までは神のうち」という言葉がありますが、その意味するところの一つは、小さな子どもの命が、蜻蛉のようにはかないものであったからです。昔は多くの子ども達が、幼い間に病気などで亡くなっていましたので、7才まではまだまだ弱い存在であり、いつ神に召されるかも知れないという思いが、そのような言葉で表現されたのでしょう。
 もうひとつの「7才までは神のうち」の意味するところは、小さな子どもは神に近い存在である、ということから来たものと考えられます。生まれたばかりの赤ちゃんの顔は哲学者の顔である、という表現がありますが、新生児の医療を仕事として、毎日赤ちゃんの吸い込まれるような純粋無垢の瞳を見ていますと、まさにそのとおりだと思います。私は心の奥底から、赤ちゃんに携わる仕事を職業としていることの幸せを感じております。私が書いた「新生児(あなた)に生きる」という詩は、みんなから「赤ちゃんへのラブレターですね」といわれていますが、そのとうりなのです。
 日本の仏画の中には、全く無心でボーと立っている小さな子どもが、さり気なく書き込まれていることが珍しくありません。それは、禅の修行を積んで、ようやく辿り着くと言われる悟りの境地は、まさに子どもの無心の心につながるからなのでしょう。このように仏教の世界でも、子どもは仏に近い存在と考えられています。
また神社においても、小さな子どもが稚児となって神に奉納する踊りをすることが昔から行われています。それも汚れのない子どもが最も神に近い存在であるから、という考えからなのです。キリスト教においても、聖母マリア様が赤ちゃんのキリスト様を抱えている像が多く見られますが、それはキリストの神聖を表すためにはプロの芸術家のとっても、子どもの姿でなければ至難の業であるからと推測されます。このように子どもは、仏教においても神道においてもキリスト教においてもその存在そのものが神に近い、と受け入れられているのです。
 ピタウ大司教(前バチカン教育長官)は、神は万物をお創りになった最後に神のレプリカとして人間をお創りになった、とおっしゃられています。人間は他の生き物と違って、宇宙の彼方や生命の起源にまで思いを馳せ、実際に月に人を送り込んだり、DNAを解析する能力を与えられているのです。神がお造りになった人間の原形は、生まれたばかりの赤ちゃんですから、赤ちゃんは最も神に近い存在であると言えます。このことは、最近の脳科学の進歩によって、赤ちゃんがこれまで我々が思っていた以上の能力をもっていることが明らかにされつつあることにも関連して、極めて興味あることです。この赤ちゃんの天才的な能力については、第8章で改めてお話いたします。
 このような人間の他の生き物とは比べにならない能力は、神から与えられたという表現よりは、2百万年の人類の進化の過程の中で我々の祖先が自然の中から学び取ったもの、と言い換えたほうが受け入れ易いかもしれません。この本の主題である『あたたかい心』も、弱い生き物である人間が恐竜や猛獣の中で生き抜くためには、仲間同士で助け合ってゆく為に、勝ち取った知恵であり、それが脳機能の中に相手の気持ちを汲み取る能力して組み込まれた、と考えられています。人類が歩んだ最も長い距離を人力で辿った医師で冒険家の関野吉晴さんが講演の中で、アラスカの原野に生きるイヌイットに「この厳しい自然の中で生きる上で一番大切なことは何か?」とたずねたところ、その答えは犬ぞりや銃などではなく、「共に生きるあたたかい心である」と答えた、と語られていました。子供は生まれつき、その「あたたかい心」を持っているはずです
 残念ながらほとんどの人間は、発育発達する過程の中で諸々の周囲からの影響を受け、幼い子どもの純粋無垢な心が俗人の心に変わってゆき、同時にその天才的な能力も失われてゆくのです。さらに人類最大の知恵である『共に生きるあたたかい心』も、次第に色褪せてゆく人がなんと多いことでしょうか。このようなことを知れば知るほど、子どもの神に近い心と能力に畏敬の念を持つことが、もしかしたら子育ての中で最も大切なことのように思えます。
 音楽家であり教育評論家である松居和氏は、「子育てと祈り」という文章の中で、「子育てというものは、こうすればよいという正解がないところから、子どもが元気に育ってほしい、良い子に育ってほしいという親の願いが、祈るという形になって表われる」、と延べています。子どもを思う親の心が、例えば子守唄という形で表現されるならば、それは祈りそのものである、という考えは、子育ての核心に迫るものと思います。また子守唄を聴いた人の多くが、母性愛を感じたり、心のどこかに子守唄の記憶が蘇ったりすることが知られていいます。子守唄には、子どもが泣き止んでおとなしく眠るという効果だけでなく、幼児期の心を思い出させて私たちの心を優しくする働きがあるようです。
 わらべ歌も子どもに対する祈りの歌に共通するものが、その根幹に含まれているようです。私は、かって生き物文化誌学会に参加して、わらべ歌を歌う子どものグループの歌を聴き、思わず涙ぐんでしまった経験があります。恥ずかしくなってソット辺りを見回すと、あちこちで涙を拭いているのです。私だけでなくて、みんな同じような感情になるのだと思うと、なぜだろう、何か心に囁き掛けるものがあるのだろうか、という疑問が出てきました。しかし考えてみても理屈はないのです。みんな持っている幼い時に育まれた、はろばろとした故郷の思いに、そして母の思いに心が共鳴するのでしょう。
 子どもは我々の宝であり未来であります。子どもを慈しみ育てる行為は、人間の営みの中で最も大切かつ崇高なものあることを考えれば、「子どもに祈る」という言葉の持つ意味が自ずから理解され、日本の子育ての原型が浮かび上がってくるようです。

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第2章 日本の子育て環境の変化

  1. (1)子育て環境の変化
     第1章で述べた世界に冠たる日本の子育て環境は、残念ながら近年の急激な社会構造の変化に伴い、大きく影響を受けています。それが子どもの心の発達に影を落とし、昨今の子どもを取り巻く社会問題の大きな原因になっています。
     まず、第一に子育てに深く係わる生活共同体としての地域社会が消失しつつあります。私が子どもの頃は、近隣の人達がお互いに子育てに関与し合い助け合っていました。私自身の幼い頃の記憶の中に、「お菓子屋の源三郎じいさん、隣の大きい小母ちゃんと小さい小母ちゃん、畳屋の菊さん」などの近所の大人の人達の名前がたくさん刻み込まれております。「源三郎じいさん」は、近所に住んでいた小学校の同級生のおじいさんで、よく一緒に遊びに連れて行ってくれました。「隣の大きい小母ちゃんと小さい小母ちゃん」は、棟続きの家に住んでいた遠縁の姉妹の未亡人で、共用のお風呂だったので何時も一緒に入れてくれました。「畳屋の菊さん」は、年に一度の畳替えの時以外にも、よく家に出入りしていた方で、肩車をしてもらったり相撲の相手をしてくれたりと、よく遊んでもらいました。
     このように医師として忙しかった父母に変わって、周りの人達が自然に子育てに係わってくれていたのです。ところが今はどうでしょうか。都会のみならず田舎においても、隣はなにをする人ぞ、といった雰囲気が広がり、お互いに子育てに係わり合うような親密な隣近所の付き合いは見られなくなってしまいました。
     子育て環境として、地域社会のもう一つの内側となる運命共同体と呼ばれる一族郎党の絆の世界も。大きく変わってしまいました。私の両親は共に7人の同胞があり、私自身も7人兄弟姉妹でした。昭和の初期において、それは珍しいことではなく、兄弟姉妹同士が喧嘩をしながらも、上の者が下の者を見守り助け合い教え合うことが、極自然に行われていました。また冠婚葬祭のある毎に、また子どもが産まれたり病人が出たりと人手が必要になった時に、親戚同士がお互いに助け合っていました。そのような機会には自然に子ども達も集まり、その一族郎党の輪の中でお互いに育まれて来ました。
    現在はどうでしょうか。一家族の子どもの数が一人か二人となったばかりでなく、親戚一同が集う機会も以前よりずっと少なくなり、血のつながったいとこ同士の子どもが、つるんで遊んだり喧嘩をしたりということも少なくなりました。私の子どもの頃は、夏休みの1ヶ月以上も海の近くにあった母の実家で過し、いとこ達と真っ黒になって遊ぶのが年中行事でした。楽しかったばかりでなく、当時は大人のように思えた年上のいとこに面倒をみてもらい、いろいろなことを教えてもらいました。同時に、私も私なりに小さな子ども達の面倒を見た記憶があります。現在の子ども達は一緒に遊ぶどころか、自分のいとこ達の名前もあまり知らないのではないでしょうか。
     さらに、子育ての核となる家族の絆においてさえも失われつつあります。かつてはどの家庭でも、家族全員がテーブルを囲んで食事をするのが、家族が一緒に集う大切な機会でありました。ところが、私の長女が中学生の時に、「お父さんと一緒に食事をしながらお話をする。」と友達に言ったところ、「変わった家ね」と言われました。それで長女は驚いて、私に「お父さん、私の家って変わっているの?」と尋ねたのです。私も、まさか父親と一緒に食事をしながら話すのが変わっている、と言われるとは考えてもいなかったので、返答に窮しました。しかし、家族が一緒に食事をするのは人間の生活として極当たり前のことだし、一緒に助け合って生きているのが家族なのだから、父親と娘だからといって話をしないほうが不自然なことは明らかですので、「他の家が変と思わない?」と返事をしたことを覚えています。それはもう15年程も以前のことでした。すでにその当時から、父親は朝早く出かけ夜遅く帰るため家族と食事が別となり易いだけなく、子ども達も朝各々バタバタと勝手に簡単な食事をして出かけ、夕食さえも各々の塾などでバラバラに食べるという、いわゆる「孤食(一人で食べる)」などという寒々とした食事のパターンが珍しくなくなっていました。子育てに最も大切な共に食事をする機会がなくなりつつある上に、家族の会話さえ不十分な社会になってきたことは、由々しきことと思っております。
     このように子どもと家族を取り巻いて、子育てをサポートしてきた地域社会や一族郎党という大切な助け合いの環境が希薄になってきた現在こそ、親子特に母と子の絆の持つ重要性が増してきたと考えられます。このような私達の生活環境の変化に応じて、これまでと違った子育て環境、特に社会の一員に組み込まれていく母親を支える環境、を考えなければならない時代になったことを感じるのです。
     
    2)「三歳児神話」という神話
     「三歳児神話」とは、三歳までは母親が子育てをしないと良い子の育たない、という意見・考え方のことです。この言葉は、ボウルビーという学者達が、第二次世界大戦後の恵まれない子供達を対象にした研究から、母親に養育されなかった子供達に発育発達の遅延や精神的な問題が多く見られたことを発表し、母性的養育の消失が子どもの将来に悪影響を及ぼすと述べたことに、その端を発しているようです。勿論、母親に愛情を持って育てられるのが、子どもにとって一番恵まれていることに異論を挟む人はいないはずです。
     しかし、三歳までは母親でなければならない、と言う理由はなく、第1章で述べた「三つ子の魂百までも」と混同されたものでしょう。まさに「三歳児神話」という言葉そのものが、子どもは母親が育てるべきだ、と言う考えに基づいてつくり出された神話にすぎないのです。フランスの女性思想家のバタンデールが書いた『母性は本能であるという神話』という本は、母性は本能であるから女性が子育てをするのは当然である、という考えは、男性が女性を家庭に留めて置くために造った偽の神話である、というフェニミズム(女性の権利を守る運動)からの観点で書かれています。彼女が言うような男性の陰謀という考えでなくとも、第一章で述べたごとく、「母性は本能でなく子育ての中から生まれてくるものである」ことが、母と子の医療から示されています。
     確かに女性の社会進出によって働く女性が増えてきたことが、子どもの側から言えば、母親を社会に奪われ母親に接する時間が少なくなったと言えられるかも知れません。しかし、これまでの母親も、家族の世話と同時にお店や農作業に携わる仕事に追われ、決して自分の子どもと一緒にいる時間が多かったわけではないのです。唯、昔は前に述べたように、周りにいる誰かが、子育て中の母親を助けてくれていたのです。
    私の母親は、太平洋戦争の前後に田舎の開業医として働きながら7人の子どもを産み育てました。兄が幼少時に亡くなりましたが、幸いにも残りの6人は大学まで進学し、それぞれ社会人として活躍しております。私はまだ下に2人の弟・妹がいる5番目の子供ということで、確かに母親に抱かれて育ったという記憶は残っていないのですが、小学校から家に帰った時の第一声が「母ちゃんは?」で、誰かの「母ちゃんは往診に行っているよ。」という返事で母親を確認すると,鞄を放り投げて遊びに駆け出していました。周りの人達が子育てを無言のうちにサポートし、子どもが安心して母親の存在を確認できることだけで、ベタベタした接触が無くとも親子の心の絆を結ぶことが出来ていたのです。
    能力のある女性が社会の一員として社会に貢献することは当然であり、決して悪いことではありません。しかし問題は、子育て中の母親が働くのに適切な社会構造が、まだまだ整っていないのです。トヨタやソニー等の一流と言われる会社でも、子育てをしながら女性が働く環境が整っているのは、どのくらいあるのでしょうか。実は、東京女子医大は学生が全て女性であるところから、女医や看護士(婦)として女性が職業人として働く比率が最も高い職場なのですが、夜間に働く子育て中の母親を支える為に、24時間小さなお子さんを預かる施設が出来たのは最近の事なのです。
     このように女性が家庭の外で働く変化に、社会全体の対応が伴っていないところから、子育てという最も基本的な人間の営みに大きな齟齬を生じてしまったことは、我々の未来にとって大きなマイナスとなります。近年は、これまで子育てに係わって来た地域社会や一族郎党といった母親を助けくれる社会組織が消失し、さらに家族の絆までも危うくなりつつあります。物質的に豊かになった社会でありながら、子育てに関しては守ってくれる防壁が次々となくなり、冷たい風が吹きすさぶような環境となっています。私には、育児不安を訴える母親が外来に来るごとに、マンションの一室で、若いカップルが初めての子どもを前にして、「どうして泣くのだろう。どうしたらいいのだろう」と、途方にくれている姿が目に浮かぶのです。
     この急激な子育て環境の変化に対応するために、子育てに対する新しい認識と、それに応じた新しいシステムの構築が、今の社会において最も強く望まれているところです。私の弟が故郷の町の町長なったときのマニフェスト(公約)の第一条が、安心して子育ての出来る町づくり、でした。子育ては親の責任だとして押し付けるのではなく、公的機関も関与した地域全体の大切な事業として取り組む時代になったのです。これまで、子どもを託児所に預けるのは母親の手抜きのような目で見られ勝ちでしたが、むしろ、母親が社会の一員として生き生きと働きながら子育てをするほうが、子育てに疲れてイライラしながら子どもに接するより、どんなに良いかが認識されるようになりました。また子どもにとっても、一人で母親と対峙するように一日中向かい合っているより、同じ年頃の子ども達とワイワイと遊ぶ方がどんなに楽しく、またどんなにその中から社会性を学ぶか、容易に想像できることでしょう。
    子育ての根源として最も大切なことは、子どもの心の育成です。時代に応じた子育て環境を作るべきであることは当然ですが、その視点が親や子育てをする人の便利性にのみ向けられて、子どもの心を忘れてはいけもせん。このような時代になったからこそ、「幼い子どもにあたたかい心を育むことの重要性」は、ますます強調されなければなりません。その核となるのは、やはり親、特に母親の愛情なのです。母親が豊かな心を持って、子どもにその愛を注げる育児環境の構築が、現代社会においてこそ大切なのです。

(3)子育てにおける父親の役割と「父性」
 子育てにおける母親や母性の大切さを話すと、必ず「では父親はどうなのですか、父性とはあるのですか?」と尋ねられます。当然のことですが、父親も母親とは違った大切な子育ての役割を持っており、さらに父性というものがあることが知られています。残念ながらその重要性に感しては、母親や母性ほど十分に研究されていませんが、少しながら解説してみましょう。
 狩猟民族の世界では、男性が狩りに出かけ女性が家と子どもを守る生活スタイルでしたが、日本のような農耕民族、特に稲作、においては、男も女もみんなで仕事をする機会が多かったと考えられます。ですから子育ても母親だけの仕事でなく、みんなで行なわれていました。勿論母乳養育が中心であり、子育ての中心が母親であることには自然の流れでした。しかしその母親の子育てを、家族や親類縁者の一族郎党および生活共同体としての地域社会が支えてきました。近代社会となり、その一族郎党の絆および部落的地域の共同体が消失し、家族という生活単位が取り残されたところから、子育てにおいても母親を支える父親の役目が重要になってきました。この事に関しては、母性的養育が最も重要であると結論づけているボウルビーでも、母親を精神的・物理的に支える父親の役目の重要性に触れています。
 これまでの日本における子育てにおいては、母親が可愛がり父親が叱る、という分業のように、父親は母と子の子育ての世界の周りにいて、子どもに厳しく接し、社会的規範を教える役割を与えられていました。私が子どもの頃の1940—50年代は、男性が子どもを抱くことや、ましてやおむつを変えることやミルクを飲ませる姿をほとんど見たことがありません。むしろ「男子厨房に入るべからず。」という言葉に象徴されていたように、男性は育児や家事に参加してはいけない、という風潮でした。
しかし女性も当然その能力を社会に還元するべきであるし、それを望む女性が増加してきた現代においては、父親も母親と同等近く子育てに参加する必要が生じてきました。さらに大家族制が消失して核家族が大半となったところから、父親の子育てに関与しなければならない割合がさらに大きくなりました。そのよう子育て環境の変化に伴って、これまでの家長として家族を守るという父親の役目から離れて、男性にも母性と同様な概念の父性というものがあることが知られるようになりました。
 父性とはなんでしょうか。また父性は存在するのでしょうか。これまでは、家族や母親を支える強い男性としての立場が父親像で、それが父性とオーバーラップしていました。しかし、それは家長としての責任や立場によるもので、心の中から湧き出る父親としての感情とは異なったものです。母性が子どもに対する母親の愛情に裏打ちされたものと考えれば、父性もまた、子どもに対する父親としてのある特有な感情と考えなければなりません。私が米国の新生児室で働いている時、白人の父親が生まれて直ぐから母親よりもベタベタと赤ちゃんを抱きかかえて歌を唱ったりするのを見て、日本人とは違うな、と思っていました。しかし最近の日本でも、若い父親が母親よりも上手に赤ちゃんを抱いたり、おむつを変えたりするのをよく見るようになりました。このような感情・感覚としての父性がある事は認められてきましたが、まだ母性ほど十分には研究されていません。ようやく近年になって、幾つかのことが分ってきたところです。
 周産期医療の進歩により超音波で胎児の動く姿がみえるようになって、指を吸ったり欠伸をしたりという、生まれた後の赤ちゃんと同様な動作をする姿を、妊婦検診の時に父親も母親と一緒に見る機会が出来てきました。そのような父親は、生まれる前から赤ちゃんに強い興味と愛情を示すことが分かりました。また、胎動を母親のお腹を介して触れたり、母親とラマーズ法などで呼吸法を一緒に学び分娩時に母親をサポートした父親は、出生時より赤ちゃんに母親同様の愛着を持つことが示されています。勿論自分のお腹を痛め、生まれて直ぐから抱き締めて母乳を与える母親に比べ、父親が同等の心の絆をあかちゃんと結ぶことが出来るとは思いませんが、少なくとも、父親でも子どもとの接点を作ってあげれば、母性に類似した父性という心の絆を作り上げることが可能であると考えられるようになりました。次の述べる大江健三郎氏とその長男の光さんの関係は、まさにその典型と言えるでしょう。
 光さんは、当時としては治療の対象とならないほどの高度の脳障害を持って生まれました。しかし、光さんを手術した故森安博士(日本大学脳外科)は、「若い父親が、一生この子と共に生きてゆきます、と言ったので手術した」と述べています。大江氏は約束どおり、まさに光さんと手を繋ぎながら生きてきました。それを象徴するエピソードの一つは、光さんの歯の治療の日と、大江氏が原水禁国際大会で基調講演する日が重なってしまった時のことでした。障害者である光さんの歯の治療はとても大変で、ようやく優秀なある歯科医に巡りあいましたが、その予約はいつも一杯でした。さらに光さんの治療は、大江氏が光さんの手を握っていないと出来ないのです。大江氏は「基調講演は外の人にお願い出来るが、光の付き添いは私しか出来ないのです」と彼にとっても大切であった国際学会の講演を断ったのです。
また光さんが始めて出した言葉が、軽井沢の森を歩いている時に耳にした鳥の名前であったところから、大江氏は光さんが音に関する高い感性を持っていることに気づきました。それからピアノの先生を雇って光さんに音楽を教える、というよりは音楽に触れさせる、ようにしました。その光さんが、ある日何か五線譜の上に書き出したのが、あの有名な「光の音楽」という素晴らしい曲だったのです。やがて光さんは、短いながらとても人の心に触れるあたたかさに溢れた各々の曲を作曲してCDを出し、作曲家として世に知られるようになったのです。それはとても心が休まる癒しの音楽のような効果がありましたので、私のNICU(新生児集中治療室)でも、よく「光の音楽」をバックグラウンドミュージックとして流していました。
光さんが音楽の専門家達と作曲の話などをしていると、その言葉が特殊な専門用語であることなどから、大江健三郎は自分がその会話の世界に入ることが出来ず、疎外感からある一抹のさびしさを感じた、と書いています。母親が子供の成長を喜ぶと同時に、自分から離れてゆく子どもに感じるものと同様であると思い、基本的には母性も父性も親と子の心の絆がその根底を成していることに思い至りました。
実は私は、大江氏がノーベル賞を受賞したのも、大江氏と光さんのコンビでもらったと考えているのです。と言うのは、大江氏が光さんという障害者を念頭において書いた一連の小説には、彼のそれまでのとても難解な内容のものと違って、「あたたかい心」という世界共通の一貫したテーマが流れているからです。父親がこれだけわが子と一体になれることは、母性に負けないほどの父性というものが存在することの証であると思います。大江のそれには及びも着かないものですが、私の父親としての役割と子ども達に関する考えを、第10章に少しながら個人的な体験として取り上げましたので、合わせて御参照下さい。

(4) 氏と育ち
子どもが、どのように発達成長してゆくかのキーワードは、『氏と育ち』すなわち「遺伝因子と環境因子」です。一般的には『氏より育ち』と言われるように、子どもはどのように育てられるかで大きく影響を受けることが、子育ての実践の中で経験的に知られており、少なくとも子どもにおいては環境の因子が大きいことは事実のようです。しかし学問的には、遺伝情報の解明から遺伝因子の普遍的な発育発達に及ぼす影響はゆるぎないもので、身体の大きい親から大きくなる遺伝子をもらった子どもは大きくなり、知能に関しても音楽の才能などは先天的なものがあることが知られています。
ところが近年の研究で、子育て環境が遺伝子レベルに及ぼす影響が、なんとその子ども自身だけでなく、その子孫にも影響を及ぼすという衝撃的な研究結果が明らかにされたのです。ネズミ(鼠)を使った実験ですが、子育てに熱心な遺伝子を持った系統と子育てを余りしない遺伝子を持った二つの系統のネズミの母親と子どもの組み合わせを変えて、子育てという環境因子が、どのように遺伝そのものに影響を与えるかが調べられました。子育てを余りしない系統のネズミが子育てに熱心なネズミに育てられると、母親になってから子育てが熱心になることは、環境が遺伝子の影響を上回ったことで理解できますが、なんと遺伝的には余り子育てをしないはずのネズミの子どもまでも、やがて親になると子育て熱心なネズミになったのです。
逆に、子育てを熱心にする系統のネズミの子どもが子育てを余りしないネズミに育てられると、母親になって子育てを余りしないだけでなく、遺伝的には子育てを熱心にするはずのネズミの子どもまでも子育てを余りしなくなるのです。このように、子どもの時に受けた環境が、その子どもだけでなく、次に生まれる子どもにまで影響することが示されました。このように、遺伝子(DNA配列)の情報そのもの以外の、固体が発育成長の過程で環境から受けた影響が世代を超えて伝わる現象を、エピジェネテイック(epigenetic)とよばれています。
 この遺伝子が受けた影響が次世代にまで影響を及ぼすメカニズムに関しては、遺伝子情報の発現の機構から解明されています。少し専門的になりますが、遺伝情報の基本はDNAというものに4つの核酸(アデニン・グアニン・シトシン・チミン)の組み合わせで書き込まれていてそれは簡単に子育て環境では変わりませんが、そこに書かれている遺伝情報を読み出す時に環境が影響を及ぼしうるのです。生き物が変化する環境の中で生き残る知恵として、基本的な遺伝情報はそのままでも、環境に適応するように遺伝情報の読み方が変わり、それに応じて遺伝子情報の現れ方(発現)が少しずつ変わり得ることが起こっても不思議ではないでしょう。すなわち同じ遺伝子でも、その遺伝情報の読み取りが出来るか出来ないかが、環境の影響を受けるのです。このようなメカニズムによって、遺伝子情報そのもの以外の情報(子の場合は、どのように育てられたか)が世代を超えて伝わることは、「三つ子の教え百までも」の科学的な説明の一つになるものと考えられます。

(5)子どもと遊び

子どもにとって、遊びは生活の一部といえるほど大きな部分を占めています。すでに乳児が、自分の手を「これは何だろう」というように長い間眺めている「手遊び」は、専門用語でも(hand regard)と呼ばれる大切な発達のステップでありますし、玩具を使った遊びが子どもの発達に役立っていることは事実です。世界中に各民族の文化の匂いの香る、たくさんの種類の子どもの為の玩具がありますが、それらは安全・壊れ難い・シンプルという特徴に加えて、芸術品的な意味合いとはまた別な子どもの興味を呼び起こす工夫がなされています。知的生き物である人間の子どもは、本来玩具に取り囲まれて育って行くと言って過言ではありません。そのような玩具の手に入らない発展途上国の子ども達でも、身の回りにある棒や空き缶を玩具にして、飽きることなく遊び続ける光景を目にします。子どもは、まさに遊ぶ天才で、遊ぶことによって社会性を身に付け、更に知能を刺激し発達して行くのです。
「あそび」の語源は大和言葉の「足霊(あしび)」であるといわれていますが、本来の「足霊」という言葉は、人々が助けてくれる神様の所へ足を運んで祭るという意味です。その時に神様の前に集まってみんなで歌を歌ったり踊ったりしたことから、今の遊ぶと言う意味に変わって行ったようです。また人間を表現するラテン語のひとつがホモ・ルーデンス、すなわち遊ぶことの出きる者(種)といわれています。
 遊ぶということは、車のハンドルの遊びのように直接運転操作に直結しないが、遊びのないハンドル操作がなんともぎこちなく疲れてしまうのと同様に、遊びがない生活はワークホリックの器械人間のようになって味気ない人生になってしまいます。動物にも遊びのような行動が見られますが、それらはどこかで生存の為の訓練などに繋がっており、人間のような全く楽しみだけの目的の遊ぶというものはほとんどないそうです。勿論、人間の遊びにも、人と人を結びつける社会性を育む役目があると考えられますが、ほんとの遊びは生きることに直接関係のない心の余裕から生まれるもので、高次脳機能の働きによる人間の特性と呼ばれています。
 一方子どもの遊びは、それが楽しいからするものであっても、結果的には子どもの成長に重要な役目をすることが知られています。それは、子供同士で遊ぶ中で社会性を学ぶという実利的な意味に加え、大人の遊び同様に前頭前野を刺激し情緒や感性を高める作用をもたらします。このように子どもは遊びながら成長すると言われており、子どもの遊びの持つ意味は、大人の遊びとは大きく異なります。
 そのような重要な意味を持つ子どもの遊びが、近年テレビやゲームに取って代わられ、一方的な仮想の映像世界への耽溺にと変わってきました。テレビやゲームは、これまでの遊びのように自分の感性で対応する要素が少ない上に、バーチャルな作り物の世界に子どもを誘い込み、本当の世界を忘れさせてしまいます。子どもの発育発達にとって重要な意味を持つ遊びの世界が大きく変わってきたことによって、大切な幼児期の感性が育まれないばかりでなく、過剰な刺激があたたかい心に大切な前頭前野の高次脳機能に悪影響をもたらすことが懸念されています。日本小児科学会を始めとした子どもの養育に関わる専門家は、このような育児環境の変化にも、適切な指導やアドバイスを行う必要が生じてきたのです。

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第3章 母と子の絆

1)新生児医療からの教訓
 新生児集中治療室(NICU)に長期入院していた新生児が退院して家に帰った後に、養育者(親)に虐待される率が高いことが学問的に知られるようになったのは、1970年代になってからでした。それは、単に未熟児を出生した母親に若い人が多かったとか、働きながら妊娠を継続しなければならない経済的に恵まれない人が多かったから、というのではなく、母親と子どもが長期間離ればなれになってしまう(母子分離)ためであることが、種々の研究から明らかにされました。一生懸命未熟児や病気の赤ちゃんを助けてきた新生児の医師や看護士にとっては衝撃的な事実でした。
 実はこのことは、100年も前にパリに世界で最初の未熟児センターを作ったピエール・ブダン博士が、すでにその著書の中で、「ようやく未熟児室を退院することができるようになったのに、子どもに関心を示さない母親がいる。」と記載していたのです。私達新生児医師は、その先人の経験に耳を貸さず、未熟児の命を助けることに目が行って、その後ろにいる母親の存在を忘れてしまっていたのでした。
ちなみに、なぜパリに未熟児センターができたかというと、パリの動物園で冬に生まれた貴重なチンパンジーの赤ちゃんを育てるのに、暖かい箱を使用して成功したことにヒントを得て、その当時低体温の為に死亡していた人間の未熟児の赤ちゃんを助けようと、今の保育器の原形が造られ、チンパンジーの赤ちゃん同様に保育に成功したことに始まります。その当時の未熟児センターは保育器がずらりと並べられているだけで、赤ちゃんは正に保温してもらう以外は自力で生き残っていたのです。暖かい環境を与えられれば助かる子どもが助かっているので、赤ちゃん側には育児の妨げとなるような医学的な問題は殆んど起こっていないと考えられます。ですから母親と子どもの心の絆が出来なかったのは、保育器に長い間入っていたことで、母と子の心の交流が人為的に断ち切ってしまったため、母親の側に十分に母性が目覚めない結果になってしまったからなのです。
 筆者がアメリカで新生児のフェローをしている時に、ブダン博士が記載していると同様な、忘れられない経験をしております。それは、長い間子どもを望んでいた夫婦に、ようやく生まれた1500グラム前後の未熟児が、3ヶ月近くNICUに入院して、無事退院にこぎつけた時の事です。両親は最初の1ヶ月ほどの間に次々に起こる医学的な問題に一喜一憂しておりましたが、とてもその子の誕生を喜んでおりました。しかし、逆に赤ちゃんが元気になり、保育器の外に出て抱けるようになった頃から、だんだん面会に来る回数が少なくなってきたのです。母親は小児科医で父親は弁護士であり、私達医療者とのコミュニケーションも良好でしたので、両親が忙しいためとあまり気にかけずにいました。ところが、ようやく退院となった時に、母親は我々に、「長い間お世話になりましたが、この子どもはこれから乳児院に預けることにしました。」と話したのです。大変驚いて「どうしてですか。」と訪ねると、母親は「どうしてもこの子に愛情が湧いてこないので、家に連れて帰れば、私だけでなくこの子も不幸になると考え、夫と相談した結果、この子を養子に出すことにしたのです。」と答えたのです。私は、あんなに子どもの退院を心待ちしていたように思えたのにと、もう一度考え直すように助言しました。しかし小児科医である母親は自分の心の状態を臨床心理士などの専門家に相談した結果、子どもの幸せのために苦渋の選択したのでした。むしろ心ならずも子どもを虐待してしまう不幸な出来事を避けるための、正しい判断だったのかも知れません。その時に私の上司が言った、「私達は子どもを助けたが、母親を失った」という言葉を忘れることはできません。
 私達は、母親が医療者だからと安心してしまい、母親が子どもとの心の絆を培う大切な作業を助ける役目を怠ってしまったと深く反省しました。このような新生児医療における悲しい過去の教訓から、現在のNICUにおいては、例え児が重症であっても、早期から母親に児に接触させることを行って、母と子の絆を確立することに努めるようになっています。

2)動物の世界からの教訓
 モルモットなどを飼ったことのある方は経験していると思いますが、生まれたばかりの子どもを母獣から引き離し、2—3日経ってから再び母獣に還しても二度と自分の子どもとして受け入れず、逆に噛み殺したりすることがあります。それは、母獣と子の間に本能的な親子の絆が出来る前に、母子分離をしてしまったからと考えられています。このような生まれた後に親子の絆が確立されるのに重要な生後のある時間帯は、感応期(sensitive period)と呼ばれています。その時間は、動物によって異なりますが、小型の哺乳動物で生後数時間から24時間の間のようです。何がそうするのかは、まだ不明ですが、動物の場合は匂いや身体の形態などの感覚的な情報が親子を結び付けるのに重要な役割を果たしていることが知られています。
 人間はより高度に発達した生物であり、本能や感覚よりも知性がその生存に重要の役目をしていますので、動物のように生まれてからその匂いを確認しないと親子の絆が出来ないというレベルではありません。人間では、生まれた後に母親が赤ちゃんに母乳を飲ませたりおむつを代えたりという育児行為をしている間に、段々といわゆる母性が触発されて行くことが知られています。しかし人間も哺乳動物ですので、本能的に赤ちゃんを抱きかかえ母乳を飲ませるメカニズムが脳の中に刻み込まれているはずです。
 人間ではあまりたくさんの研究はありませんが、それでも生まれてから直ぐに赤ちゃんと一緒にいる母親のグループと、母子分離された母親のグループを比べてみると、その後の愛着行動と呼ばれる子どもに対する愛情を示す行動に差が出ることが示されています。分娩室で生まれて直ぐに赤ちゃんを母親に抱かせることが広く行われるようになったのは、そのような理由からです。私の知人の小児科の女医さんが、「分娩台で抱いた、まだ胎脂がべっとり着いたままのあかちゃんの感覚が、何ヶ月も皮膚に残っていた」と話してくれました。人間でも分娩という大きな生体の変化と、さらに新しい生命を生み出したという精神的な高揚によって、そのような特殊な研ぎすまされたような感覚となることは、十分考えられると思います。
 一方赤ちゃんも、生まれて直ぐに母親を認識しないと命に関わることですので、やはり自分の母親を匂いや姿で頭の中に記憶すると考えられています。その典型的なモデルが、鳥で良く知られている刷り込み現象と呼ばれるもので、鳥は孵化した時に最初に見た動くものを、自分の母親と記憶することが証明されています。動物行動学の仕事でノーベル賞を受賞したコンラド博士は、たまたま孵化した時に目が合ってしまったカモが博士を親と思って、お風呂やトイレにも付いて来るので困ったことを、「ソロモンの指輪」という本に書いています。皇居のお堀のカルガモの親子が、一列になって横断歩道を渡る姿を新聞やテレビで見た方が多いと思いますが、あれは母親が誘導しているのではなく、子ガモが必死で母親の後を追っているのです。それは子ガモにとって、母親を見失うことは死を意味するからなのです。
 人間の赤ちゃんでは、そのようなデータはまだありませんが、生まれて直ぐの赤ちゃんは、出生に伴うストレスホルモンの一種のアドレナリンなどの作用で、静かにしているが神経は研ぎすまされたように鋭い、という状態になっており、その時に記憶力も高まっていると考えられています。また赤ちゃんは、黒目と白目のように明暗のコントラストが強い物を注視することが知られています。ですから、生まれて直ぐに赤ちゃんを抱くと、あかちゃんはジッとお母さんの目を見るのです。そうすることによって、人間の赤ちゃんもお母さんを記憶しようとしているのかも知れません。

3)母と子の絆ができる過程
@出生前
 母親はすでに妊娠中から胎動等によって、自分の身体の一部という感覚ではなく、胎児を独立した1つの人間として認識するようになっています。近年は超音波等で胎児の発育の状態や、さらに胎児が動いたり、あくびをしたり、指を吸ったりという姿を見ることができます。特に妊娠を望んだ母親は、妊娠中から子どもを持つという喜びを感じて胎児に語りかけたりすることが、出生後の子どもへの愛着の形成に重要な要素となります。この妊娠中からの母と子の絆の芽生えは単なる精神的な面だけではなく、生物学的な要素も含まれていると考えられています。例えば、妊娠した動物が本能的に巣作りや母親になる準備を始めることから、愛情ホルモンといわれるプロラクチンなどの分泌が関与していることが考えられています。
A分娩時
 分娩そのものの痛みが引き金となって、エンドルフィンなどの体内モルヒネと呼ばれる物質を分泌させ、妊婦の痛みや苦しみを軽減させると共に至福の高揚した気持ちにすることによって心理状態にも作用し、母子関係確立にプラスの効果を挙げると考えられています。生理学的にも,産道を通る過程のストレスが赤ちゃんのステロイドホルモンやアドレナリン等の分泌を促し、呼吸循環機能等の子宮内環境から子宮外環境への適応に有利に働くだけでなく、ストレスホルモンが出生後の赤ちゃんの感性を研ぎ澄まさせますので、母親との心の交流にも役立つと考えられています。
 帝王切開や和痛分娩(無痛分娩という言葉は適当でありません。)は、適応さえ正しければ必ずしも悪いものではないのですが、このような陣痛や分娩の自然の過程に伴う、母体のみならず児にも有効に働く生理的作用をバイパスしてしまうマイナスがあることは事実です。母親が、いわゆる産みの苦しみを持ってわが子を産んだ、という達成感のような精神的因子だけでなく、このような内分泌学的な効果が加わることが、出生後の親子の絆の形成に役立っていることを忘れてはいけません。
 分娩の時にベテランの助産婦さんや分娩の経験のある家族などにサポートを受けると、分娩時間が短くて出血量が少ない等分娩そのものが軽く、また生まれてくる赤ちゃんの状態も比較的に良いことが示されています。さらに母子関係確立にも、より良好な効果があることが示されています。これらはドーラー(doula、ギリシャ語の助け人の意味)効果と呼ばれる現象です。夫が分娩に立ち会って産婦である妻を励ますことが、良い結果をもたらしうることも同様な意味です。しかし、夫の分娩立ち会いは、西欧人ではごく普通に行われますが、東洋人においては、異性である夫の立ち会いを望まないこともあるので、画一的ではなく希望する場合の方が良い効果が期待できます。      
B出生後
 出生直後、すでに赤ちゃんの視力は確立していますので、児は母親の目(黒目と白目の強いコントラストに惹かれるといわれています。)を注視し、目と目の接触(eye to eye contact)による親子の絆の形成の第一歩を始めます。母親が児を抱き締めることによる皮膚と皮膚との母子接触(skin to skin contact)も、お互いに心地よい刺激となり母子関係促進に良い作用をすることが知られております。
さらに、母親が抱きしめて児に母乳を吸わせることによって、eye to eye contact (赤ちゃんの視力は30−40センチほど離れている所が一番良く見えるので、抱かれている時の母親の目が一番良く見えます)やskin to skin contactに加え、乳房を児に吸われる刺激が母親にプロラクチン(催乳ホルモン)の分泌を促します。このプロラクチンという物質は母乳の分泌を高める作用が主なのですが、それと共に母親の母性本能を触発する作用があります。動物では、子どもを産んでいないのに、このホルモンを投与すると巣作りや子育て行動が引き起こされることが観察されており、愛情ホルモンとも呼ばれています。このように、母親が実際に子どもを抱きしめて母乳を飲ませる母乳栄養法ほど、母と子の絆を強くする為に効果的なものはありません。
 また母親と児が、出生後できるだけ一緒にいることを可能とする母児同室(rooming-in)の重要性が再認識されてきました。もともと出産が家庭で行われていた時代は、母親と子どもは生まれた時から一緒の部屋でしたが、戦後にGHQ(アメリカ進駐軍本部)が感染の危険がある新生児は母親から離して新生児室で診るように指導して以来、日本中の分娩施設で母子別室性となってしまいました。なんとそれを指導したアメリカは、母子同室の重要性に気づいて母子別室性をいち早く止めてしまったのですが、日本はまだ相変わらずのままの所が多いのは残念です。母児同室は、感染がむしろ少なくなるだけでなく、母と子の接触の機会が多い、母乳栄養の率が高くなる、母親が子育てに自信を持つ、などの理由で母子関係確立にとても役立つのです。私達新生児の医師たちは、医療者側の都合だけで行われている我が国の母子別室性を、出来るだけ早く無くしたいと願っています。

4)母と子の絆の破綻による問題
 子どもを産んだとしても、その後の女性が母性になる過程(mothering process)がスムーズに行かなかった場合には、児に対する愛情を持つことが十分に出来なくなってしまいます。子どもの側もそのような母親の心や態度を敏感に感じ取って、母親の可愛がろうとする行為に思うようには反応してくれないことが起こります。そうすると母親は、自分の努力が報われない為の苛立ちなどにより、いくつかの子育て上の問題を引き起こすことが知られています。特にバブルが崩壊した平成の時代になってから、連日のように肉親による子どもへの虐待などの悲惨な事件がマスコミを賑わせています。その背景にある原因のほとんどは母子関係が適切に確立されていないことによるものなのです。その代表的なものを解説します。

  1. @被虐待児症候群(battered child syndrome, abused child)

 両親あるいは親以外の養育者が、児にくり返し肉体的、精神的あるいは性的な虐待を加えることによって起る病態をいいます。より広い範囲では、ネグレクト(neglect)と呼ばれる子どもの世話を適切にしない状態(育児放棄)も含まれます。被虐待児症候群は児に対する愛情が欠けているだけでなく、むしろ児を憎く思うことによって児に障害を加える状態です。それは、子どもの悪戯に親がカッとなって殴ってしまい怪我をさせてしまった場合(それはむしろ事故といわれる範疇です)というものではなく、憎しみから繰り返し加えられる虐待行為です。虐待を他人に分かりにくくするため、タバコを押付けた火傷の跡がおむつに隠れる部分にのみ集中している例を経験したことがあります。
 現在の日本では、それは母親の育児ノイローゼから子どもに危害を加えてしまうことが主な原因であり育児のサポートが虐待を減らす、と多くの人が考えています。しかし米国では、その病根は養育者の置かれている環境に問題があるというよりは、養育者人の心の状態であると考えられていますので、育児サポート程度では問題は解決されないから、過激のようですが子どもを保護する目的で親を犯罪者として子どもから離す処置が取られています。乳幼児の母親による虐待の背景には、出産前後の最も大切な時期に親子の心の絆が確立されなかったことが関係して可能性が高いので、実は母親自身も被害者であることを忘れてはいけません。

  1. A愛情遮断症候群

 この比較的稀な疾患(子どもに病的な影響が出ているので疾患と呼ぶことが出来ます)は、虐待のように養育者が児に直接身体的障害を加えるものではありませんので、診断はなかなか容易ではありません。
 母親が如何にお菓子や玩具を与えても、児は母親に愛されていないことを本能的に認識し、それが精神的因子となって児の成長発育を大きく遅延させます。この場合の子どもは、沢山食べるのに身体的成長が不十分であるという理由で入院することが多く、実際に測定すると成長ホルモンの低下が認められています。また、患児は高価なブランド製品で人形のように飾られていながら、その表情には子どもらしさが消え、能面のような顔となっていることが特徴的です。そのような児は、入院させて他の子ども達や保母さんたちと楽しく子どもらしい遊びをするうちに、その表情の無い顔から花が咲くような子どもらしい顔に変わってゆきます。同時に成長ホルモンの分泌も適切となり、身体的な発育も順調となっていきます。幼い子どもにとって、周りからの、特に母親からの愛情が如何に大切であるかを示す疾患です。

  1. Bパーフェクトな子どもを望む症候群(perfect baby syndrome)

 これは和製英語の造語とその日本語訳ですが、子育て中の母親に起こる精神的な問題のことです。母親は生まれてくる自分の子どもに、テレビや雑誌でみるような健康で美しい映画俳優のような子どもを空想し期待しています。そのため、病気と言えない程の小さな異常、例えば軽度の耳介の変型や臨床的に問題とならない程度の痣(色素性母斑)、に過剰な反応を示して、児の養育や母子関係の形成にマイナスの影響を及ぼす状態を意味します。現在の母親は、子どもの数が一人か二人なので、その子どもに全神経を集中し、まさに手塩に掛けて自分の理想の子どもに育て上げようとします。少しぐらい成績が悪くとも元気であれば良い、といった気持ちの余裕がないのです。そればかりでなく、核家族で自分の母親や姉妹からの子育て援助も受けないため、過剰な心配が過剰な反応を示す可能性が高く、それが子育て上の問題を創り上げてしますのです。

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第4章 「あたたかい心」とは

「あたたかい心」とは、「やさしさ(優しさ)」とほぼ同じ意味であり相手を思う心を表現する言葉です。しかし「優しさ」は、その使い方や状況に応じて「優美で風情がある、穏やかで素直である、細やかで情け深い』など、色々な意味が含まれるばかりでなく、使い方によって限られた意味合いになってしまうようです。また、「愛」や「思いやり」も似た意味の言葉ですが、それらの言葉は「国を愛する、あなたを思いやる」などのように、特定の相手に向けられた具体的な意味合いとなってしまいます。
 それに対して「あたたかい心」は、仲間のすべての人に対して抱く思い、特に相手の痛み・苦しみ・悲しみを、自分の痛み・苦しみ・悲しみとして感じることの出来る心そのものを、さらにそのような心の現われを含んでいると考えて下さい。 
 出だしから理屈っぽくなってしまいましたが、その意味するところを理解いただく糧になればと、最初に私がこの「あたたかい心」という言葉を深く考えるきっかけとなったエピソードを紹介いたします。

1)人間工学と「やさしさ」
 10数年前に後輩の留学先であるスエーデンのカロリンスカ研究所を訪ねた時、人間工学学会の会長であった慶応大学の教授と船遊びを御一緒しました。美しい景色と心地よい船の揺れで、少し飲んだ酒で雄大な気持ちとなり、宇宙の始まりから人間とはまで話題が広がり、私の持論である極大から極小までの世界観を踏まえた「連続と不連続の思想」に至って、やがて「やさしさ」とはなにかに話が進みました。そんな事が切っ掛けで、彼の主催する学会の特別講演で「人間工学におけるやさしさ」なる題で話をすることになってしまったのです。
 私は赤ちゃんとお母さんを対象とする周産期・新生児の医療に携わっており、母が子どもを思う心の重要性を肌に感じておりました。例えば赤ちゃんが未熟児であるなどの理由で、生まれてすぐに母親と子どもが離されると(母子分離)、母親の子どもに対する「やさしさ」の心をはぐくむ機会が奪われてしまいます。そのような母子分離の状況に置かれた場合に、乳幼児虐待などの発生頻度が高いことが知られていました。(第3章参照) 
 その理由として、母親に子どもを思う心が形成される為には、子育ての最初の時期の母と子の接触が大切であり、母子分離がその機会を奪ってしまう為であると考えられておりました。母の子どもを思う気持ちは「やさしさ」という言葉につながるものであり、それは「母と子の心の絆」のように「人と人との心の繋がり」という程度に漠然と思っておりました。
 しかし改まって「やさしさ」とは何だろうと考えると、「心の繋がり」といった言葉で良いのかという疑問が湧き、それからの約半年間は、「やさしさ」とはなんだろう、と考える毎日になってしまいました。
 新聞などで目にする「やさしさ」の言葉を拾ってみると、「人にやさしい車」や「人にやさしい町づくり」などの表現があります。「人にやさしい車」の文節に使われる「やさしさ」の意味は、車を運転し易い(easy), 安全である(safe), 乗り心地が良い(comfortable)などの、車を利用する人に対する具体的なメリットが挙げられています。さらに「人にやさしい町づくり」の場合は、公害を出さない(ecological)や障害者にも配慮してある(barrier free)という特定の事柄に対する思いやりの意味が「やさしさ」で表現されています。しかし、それらのどれを取っても、これまで述べたような母親が子どもに向けている「やさしさ」の持つ本質的な意味、すなわち冒頭で述べた『あたたかい心』を、十分に表現しているとは言えないと考えました。
 それでは「あたたかい心に通じるやさしさ」とはなんだろうと改めて考えてみると、例え人と人の間に車という物質が入っているとしても、「やさしさ」の持つ本質的な意味は、人と人との心の繋がりに由来するものであり、物を作る人(送り手)が物を使う人(送られる人)に思いを馳せることが「やさしさ」である、と考え至ったのです。
 その具体的な表現型が、乗り心地であり操作性であり安全性なのですが、その背景には使い手である相手を思う心があるはずです。昔の職人は、例えそれが少し使いにくくても、たとえ少し外見が悪くとも、使う人の事を第一に考え、最も良い形、良い質の物を作ったと言われております。このように相手に思いを馳せることが「あたたかい心」に通じる「やさしさ」であり、その結果として具体的に表面に出る事柄は機能性や便利性の表現ですが、それらを超えてた「相手への思いやり」が自ずから醸し出されるのが「あたたかい心」に繋がるのです。
「人間工学におけるやさしさ」とは「あたたかい心」に通じるものであり、物と物とのやり取りにおいても、その背景には人間としての「相手を思いやる心」が生きていることが確信出来たのです。お陰で悩みに悩んだ講演では、そのような「やさしさ」こそが、人という生き物を人間というレベルに高めたキーワードであることを、自信を持って言うことが出来たのです。(人と人間の違いに関しては、○○ページ参照)
 
2)心(こころ)とは
 辞書を引くと、「こころ」に関連した言葉が数え切れないほど載っています。その基本的な意味でさえ、「人間の精神作用およびその基になるもの」という項で、1。知識・感情・意志の総称、2。思慮、3。気持、4、思いやり、5。望み、6。特別な考え、などが挙げられ、「比喩的に用いられる意味」として、風情・事情・趣向・答え、さらに心臓・物の中心、などと記載されています。このように、「こころ」は人間の人間たる由縁であり、我々の生活の中で常にあらゆる事象に付き添っている、と考えて語弊はありません。このように「こころ」とは、大上段に振りかぶると一口では定義出来ないほどの広がりを持った言葉なのですが、一応ここでは「あたたかい心」という切り口で、人間が共に生きてゆく為に必要な精神活動、と考えることにします。
 「こころ」を語る時に何時も話題になるのは、心は物理的な現象の組み合わせで説明出来るかと言う議論です。科学の進歩は目覚ましく、宇宙の起源から生命の起源までを解明しつつあります。心が精神活動の現れであるなら、脳科学の進歩が、やがてはあらゆる精神活動を解明し、人の心の襞まで読み取ることが可能になるのでしょうか。立花隆は利根川進との対談の中で、利根川の最近の研究対象が脳に向けられたところから、やがて精神活動は物質で説明されるか、と問い掛けたところ、利根川は躊躇なく「出きると思う」と答えていました。その本が利根川進のノーベル賞受賞の対象となった免疫に関するものであったのに、そのやり取りが記載されている最後の数行からタイトルが「物質と精神」とされたことは、哲学の一部門である美学を学んだ立花隆が、そのような唯物論的な考えに、容易に同調するはずが無いことを読み取ることができます。
 一方では、たとえ個々の生命現象が物理的・科学的事実として解明され、それらの組み合わせが精神活動であると受け入れえたとしても、そのあまりの複雑さゆえに次に何が起こるか予測が出来ない、という複雑系とよばれる学問分野が確立されつつあります。我が国の脳化学の第一人者である日立研究所の小泉英明博士は、現代科学はデカルトの要素還元論(個々の要因を分析してから再構築して本体を知る方法論)から俯瞰的統合論(個々の要因を知りながらも全体像を見て構築する考え方)への転換を必要としている、と述べておられます。たとえ最新の脳科学の粋を組み合わせても、「こころ」を論ずる手法には、このような考え方が不可欠なのでしょう。
 たしかに、これまでの経験や哲学的思索の積み重ねから「こころ」が論じられてきた時代から、新しい科学の目が学問的事実を拾い出して論理を積み上げる時代になったことは大きな進歩です。しかし一方では、あの天才ニュートンが「自分のしたことは大海原を前にして砂浜で砂粒を拾っているようなものだ」と言った如く、生命や心といった人智を越えた命題があるという、大自然(または神)に対する畏敬の念を忘れない謙虚さ、が必要ではないでしょうか。
 第8章でも触れますが、心と呼ばれうる脳の機能は、人間が他の動物と大きく異なって発達している前頭前野における高次脳機能の現れであることは、多くの科学者の意見の一致するところです。確かにチンパンジーなどの類人猿においても、見えないものを推測し、さらにそれに基づいて起こるであろう現象を推測するという、心と呼びうる脳機能を示すことが知られています。しかしそれらの多くは、生存や生殖といった次元で相手の行動意思を読み取るレベルであり、人間のように夕日の美しさから人生のもの悲しさを感じるような高度な感情を、他者と共有して心を通わせるレベルには至っておりません。このことは、他人の心を理解する、という脳機能は、チンパンジーのような霊長類でもまだまだ不十分であり、人間は心に関与する高次脳機能の面で、他の生物とは一線を画するレベルとなっていると考えられています。
 さらにチンパンジーは、解剖学的に上気道の構造が異なっているので、人間のように複雑な声を出すことが出来ません。有名な天才チンパンジーと呼ばれた「アイちゃん」でも、手話などでかなりの数の言葉を覚え、人と意志の疎通をはかることが出来ることは知られていますが、それでも私達が声を出してお互いに話し合うように、単なる意味を伝えるだけでなく微妙なニアンスを含んだ表現で、心の交流を行う人間の会話とは大きな隔たりがあります。
 またチンパンジーの子どもは、親や仲間がしていることを見て学びますが(学習)、母親が手をとって教えること(教育)は観察されていないそうです。あのアイちゃんも、自分でコンピューターの画面の絵を操作して餌を手に入れますが、子どものアユム君が手を出しても知らん振りで教育はしません。アユム君は見よう見まねをしている内に学習し、お母さんを押しのけて自分で餌を獲得するようになります。このようにチンパンジーには、言語という人と人との心の交流に重要な役目をする手段が欠けていることや、親が「自分の学んだことを子どもに教える」という教育がないことなどが、人とチンパンジーの大きな違いに関与していると考えられます。小泉博士によりますと、この教育という文化は、例外的に鳴禽類(鶯など歌う鳥)のオスが子どもに歌を教えるのが教育に近いが、それ以外の動物には殆ど見られないので、人間特有なものだそうです。学習を超え、高度な知性を子どもに伝える教育という文化を身に付けたことも、人間がこの地上で発展した大きな要素のひとつといわれています。

3)人と人間
 第15回日本生命倫理学会(2003年10月上智大学)において、当時バチカンの教育長官であったピタウ大司教は、「人間の尊厳」というタイトルの特別講演を行いました。ところが会場の垂れ幕の掲示が、過って「人の尊厳」となっていたところから、ピタウ大司教は、「私は人ではなく、人間の尊厳について話そうと思います。」と前置きされました。そして、人と人間の違いについて、「人という文字は2本足で歩いている姿を示したものであり、homo sapiens(ラテン語で最もすぐれた者)という生物学的存在を示すものである。しかし人間と言う言葉は、人と人との間の重要性を加えた社会的存在を意味している。」と説明されました。
 人という生き物は、ひとりでは生きて行けない程弱い生物であり、仲間が助け合って生きて行かなければならないのです。そのお互いが力を出し合い助け合う結果として、人間は地球上で最も繁栄し発達したのです。人という生物学的存在が人間と言う社会的存在になるためには、お互いに相手を思いやる心がなくてはなりません。そのためには相手の心を知らなければなりません。すなわち、相手の心の痛みを感じ、喜びを共にすることが、人と人とを結びつけるものであり、それが「やさしさ」や「あたたかい心」と表現されるのです。共に生きるために、人と人とを結びつける接着剤のような役目をするのが「あたたかい心」です。第5章でも触れますが、人類の進化の過程で我々の祖先は、人という最も弱い生き物が生き残るための知恵として、共に生きる能力を獲得し、それを私達のDNAの中に書き込み、さらに脳機能の中に組み込んで子孫に伝えてきたと考えられています。ですから、私達は相手を思うあたたかい心を生来的に与えられているのです。
「あたたかい心」によって人間の社会が成り立っていることは、人類の歴史の中でそれを失った瞬間に社会が崩壊した数多く経験から、容易に知ることが出来ます。ごく近年でもアフリカのルワンダで、お互いに信頼し合い愛し合い、ある者は家族として共に生きて来たツチ族とフツ族が、政治的な宣伝で「ツチ族はゴキブリであり人間ではない。」と何千回何万回とくり返しラジオで放送されるうちに、フツ族の人はツチ族を人間とは思われなくなり、恐ろしい「ジュノサイト(民族抹殺)」と呼ばれる大量虐殺が一瞬の間に起ったのです。このように、相手に対する人間としての思いやりを失った瞬間に、社会は滅びてしまうことが示された痛ましい歴史の教訓でした。
 この事実を書き留めた「ジェノサイドの丘、ルワンダ虐殺の隠された真実」という、想像を絶する虐殺の物語を読み終えた時に、人はいかに残酷になれるかと、暗澹たる気持ちに陥りました。しかし巻末近くに記載された、「共に生活していた少女達が、全員が射殺されるのを厭わず、自分と友達がフツ族とツチ族に分けられる事を拒んだ。」というエピソードは、このような状況に置かれても、友達を捨てる事が出来ない相手の痛みを感じる心を持った人たちがいた事の証であり、一条の光のようなものを感じました。そしてそれは子ども達だったのです。子ども達こそが、人類の歴史の中で私達の祖先がかち得た、生きる為の知恵である「ともに生きるあたたかい心」を持ち続けてくれたのです。
 多くの動物も集団を作って助け合って生きていますが、それはそれで美しい大切な生き物の世界です。しかし動物の場合は、敵から身を守る為に、餌を得る為に、そして生殖の為に、本能の一部として集団の中に身をおいて各自の役目を果たしているのです。人間は、単に生き抜くためや生殖のために集団を作っているのではなく、共に生きる喜びを心の深いところで感じあっているのです。それこそが人間の人間たる所以なのです。共に生きる喜びの心を失い、ただ競って生きている社会は動物の世界であり、人間の世界のレベルではないのです。
 残念ながら、現代の社会が自由経済競争・市場主義の名の下に、ただ強い者や富める者が弱い相手を押し退ける風潮となりつつあります。共に生きてゆくというあたたかい心を見失いつつある経済至上主義は、必ず行き詰まり人類を不幸に導くことに、心ある人達は大きな危惧を抱いています。このような時代であるからこそ、子どもにあたたかい心を育むことの重要性が、さらに増してきたと考えられます。

4)「あたたかい心」はなぜ必要か
 若い頃に読んだレイモンド・チャンドラーのシリーズ物の探偵小説の主人公フィリップ・マーロウの「強くなければ生きて行けない。優しくなければ生きて行く価値がない。」というダンディーな台詞に一時憧れたものです。実は少し私の記憶違いで、その言葉は正しくは、「しっかりしていなければ生きていけない、優しくなければ生きている意味がない」でした。いずれにしろ、私が小児科医となって学ぶうちに、少なくとも小さな子どもにとっては、それは正しい台詞ではなく、「生きて行く価値がないどころか、優しさがなければ生きて行けない」ことが明らかにされていたのです。
 中世ドイツのフリードリッヒ大王(1712−86)は、子どもがどのようにして言葉を覚えるかに興味をもち、当時巷にあふれていた捨て子を集めて、2つのグループに分け、両方のグループに暖かい家、暖かい衣服、暖かい食べ物を与えながらも、一方のグループを世話する保母さんには自分の子どものように言葉をかけて、他のグループを世話する保母さんには物を扱うように言葉をかけずに養育することを命令しました。そのことは、最初のグループには優しさが与えられ、後のグループには優しさが与えられなかったと考えられます。その結果は当然のことながら、後者のグループの子どもは、言葉を覚えませんでした。なんとそれどころか、その子ども達は、成長することができず、全員死亡したのです。まさに、小さな子どもは、暖かい食べ物や暖かい衣服があっても、優しさ、すなわち「あたたかい心」が与えられなければ生きて行けなかったのです。
 それに類似したことは、第一章でもふれましたが、母親の愛情を受けずに育てられた子どもにおこる愛情遮断症候群と呼ばれる疾患にも見られます。その疾患は例え高価な着物を着て立派な家に住んでいても、母親からの愛情を受けないで育てられた子どもは、子どもらしさのない能面のような表情のない顔をしているだけではなく、病的な程の食欲を示しながらも、成長ホルモンの分泌が不十分なため、身体発育が極端に遅れるのです。  
 このように「やさしさ・あたたかい心」は、人間社会を形成し存続させるために必要であるばかりでなく、こどもが人間として正常に発育発達するためにも、欠くことの出来ないものなのです。

5)真子様と佳子様への手紙
 私は東京女子医大母子センターで、宮内庁御用掛りという役職にあった故坂元正一教授の下で働いていた時に、秋篠宮妃殿下の御出産および真子内親王と佳子内親王の御養育に携わりました。その御縁で、毎年秋篠宮妃殿下のお誕生日会にお招き頂き、両内親王にもお目にかかる機会がありました。
 それは私が、「こどもにあたたかい心を育む」ことの大切さを伝える目的で企画された、シルクロードランニングジャーニー(第9章参照)に出かける前年に御招待頂いた時でした。妃殿下は、沢山の出席者にもかかわらず、1人1人にお言葉をお掛けになられます。わたしの所においでになられた時の会話で、「あたたかい心を育む運動」に携わっています、と答えました。妃殿下は一回り出席者にお声を掛け終わり、場がくつろいだ雰囲気になった後に、両内親王を私の前にお連れになり、「先ほどおっしゃられた、あたたかい心を育むということを、二人にもう少し話していただけますか。」と申されました。「あたたかい心」という言葉に、妃殿下が何かをお感じになられたからと思いました。
 好奇心に溢れたクルクルと良く動く眼差しで私を見つめる、もうすっかりお姉さんに成長され小学校も高学年となった真子様と、妃殿下の陰に体を半分隠すようにして恥ずかしそうに伏せ目がちに私を見ている小学校に御入学したばかりの佳子様では、当然のことながら御一緒に過ごすお友達も理解する言葉も異なるので、「あたたかい心」という抽象的な内容を、お二人同時に話すことは簡単ではないと思いました。それで後日、佳子様と眞子様へ次のようなお手紙をお出しました。
 
佳子様への手紙 :「あたたかい心ってなに?」
「あたたかい心ってなに? お友達がころんで、ないています。“おひざをすりむいて、いたいでしょうね、かわいそうだわ”、とおもう佳子様は、やさしい心をもっているのです。子犬がおかあさんからはなされて、さびしそうにクンクンないています。“おかあさんがいなくなってかわいそうね、わたしもかなしくなってくるわ”、とおもう佳子様は、もうあたたかい心をもっているのです。そうです。おともだちやどうぶつたちを、“いたいだろうな、かわいそう”と、じぶんのことのようにおもう心が、あたたかい心なのです。みんなが「あたたかい心、やさしい心」をもてば、せんそうやあらそいごとがなくなり、せかいはへいわになります。佳子様は、おかあさまやおとうさまに愛されて大きくなってきましたので、あたたかい心、やさしい心をいっぱいもっています。みんな佳子様のようになると、せかいじゅうがしあわせになるのにね。」

眞子様への手紙 :「あたたかい心を育むことの大切さ」
右手を左の胸の上にあてると、ドキドキと心臓が動いていることが分かりますね。生きているということは、このように暖かい血が流れている命を、お父様とお母様から受け継いだことであり、あたたかい心も自ずから授かっているのです。
それは眞子様だけでなくお友達も含め、生きているものはみんな同じなのです。とても悲しいことがあった時、お母さまがやさしく抱きしめてくれると、お母さまの体の暖かみと一緒に、お母さまのやさしさが伝わり、悲しさの氷がだんだん溶けていきますね。それは、お母さまが眞子様の悲しみを自分の悲しみのように感じてくださるからです。そうなのです。お母さまのように相手の痛み・悲しみを、自分の痛み・悲しみと感じることのできる心が、あたたかい心なのです。
「あたたかい心」を子供の時に育まれた人は、大人になっても「あたたかい心」を持ち続けます。「あたたかい心」を育まれなかったために、相手の痛みを感じることの出来ない人が、世界中で起こっているテロや争いを起こしているのです。ですから、みんながお母さまのようにやさしい心を持てば世界中が平和になるのです。
眞子様がお母さまから「あたたかい心」を育んでいただいたように、眞子様もお友達に「あたたかい心」を伝えて下さい。そうすれば「あたたかい心」を持った人達がだんだん増えてきて、争いごとがだんだん減り、世界が平和になってくるのです。

6)皇室と「あたたかい心」
歴史的な天皇の起源は稲作を中心とした農業社会における祀としてであり、人々の精神的な拠り所の役割を持っておりました。現代の皇室は国家の象徴として、人のエゴイズムに基づく利害関係などからバラバラになる可能性を含む集団である、国民を統括する役割を果たしている、と三島由紀夫は言っております。
 しかし、それ以上に日本の皇室が持つ素晴らしさは、我々の先人が積み上げてきた文化を守り伝承し続けていることです。それは、文化というものはうつろい安く、一旦失われたら二度と戻すことの出来ないものであるからです。皇室で行われる一つ一つの儀式やそれに使われる品々には、2000年を超える時の流れの中で紡ぎ挙げられたてきた私達の民族の歴史が刻み込まれています。
 もう一つ大切な皇室の果たしている役割は、我々の先祖を敬う精神を守り伝えていることです。ともすれば我々は、特に若者は、この社会が先人の知恵と努力で作り上げられたことを忘れ、1人で生きられるような錯角を起こしています。自分がこの世に生を受けたのも、両親のみならず祖父母とさかのぼる祖先に思いを馳せれば、多くの人とのつながりを感じるはずです。
 この祖先を敬うということに関し、忘れられない個人的なエピソードがあります。私は親として、また小児科医として子どもに接する経験を通じ、子供を育てるのが大変である事実も然ることながら、子育ての素晴らしさと子どもから与えられる喜びの大きさを実感していました。仕事に疲れてボンヤリと机に向かっている時に、幼いわが子が黙って後ろから肩を叩き、ニッコリと微笑むのを見て、心を癒された経験のある方は沢山いることでしょう。ですから私は、子どもを育てさせてもらっているのだ、とさえ感じていました。そんな気持ちから、ある時厚生省の研究班で御一緒した比較人類学の教授に、「子育てが終わって子供達が成人したら、子育ての楽しさを経験させてくれて有難うと言って、育てられた・育てた、という関係でなく、対等に付き合って行こうと思っています。」と言ったところ、「先生ともあろう方が、そんなことを言ってはいけません。先生の御両親、御先祖様に失礼になります。幾つになっても親は親、子は子であって、親を敬い続けることを教えなければいけません。」と諭されました。正にその方のおっしゃる通りであり、穴があったら入りたいほどの気持ちでした。
 私達がここにいるのは、親と先祖と。そして多くの先人がいたからであることを忘れてはいけないのです。それが、生かされている、共に生きているという心の一つの原点です。日本が独自の文化を持つ素晴らしい国であるのは、それを思いださせてくれる多くの伝承や歴史的遺産があるからであり、その大切な一つが皇室の存在と思っています。多くの世界の国々が隣国との争いの中で、自分たちの民族さらに国家としてのidentityを捜し求めている姿を見るにつけ、私たち日本人は民族及び国家の心の中心に、祖先の祖先のまた祖先である始祖と呼ばれるものを、国の象徴という形の皇室を有していることを、とても幸運なことと思っております。

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第5章 人はいかにして「あたたかい心」を学ぶか

 人が「あたたかい心」を身に付けるプロセスには、@乳幼児期に養育者(主に母親)から絶対的な愛を受けることによって、A幼児期以後に自我が芽生えると同時に自分以外の他人と自分との繋がりを感ずることによって、B成長したのちに他人からの優しさに感動して、C霊的・宗教的体験から絶対的な愛を学ぶことによって、の4つが考えられます。
しかし人類はそれ以前に進化の過程で、弱い生物である人が生き残る知恵として、共に生きる戦略を採用しました。それが相手を思いやる「あたたかい心」なのです。その為の基本的な脳機能のプログラムは遺伝情報の中に書き込まれていて、人間は生来的(生まれつき)に「あたたかい心」を有している、と考えられています。これらの各々について解説しましょう。

1)育まれる中で身に付ける「あたたかい心」
 第一章で述べたごとく、「育む(はぐくむ)」の言葉は「羽含む」に由来するといわれており、母親が我が子を抱き締め、愛情という温かさを子どもに与える姿であり、それが日本の子育ての原型と言えます。このようにして育まれた子どもは、母親(養育者)からの絶対的な愛を受け、例えそれが世界でたったひとりの人であっても、この世の中に自分を受け入れてくれる・愛してくれる人がいる、ということを心に刻み込みます。もともと、この絶対的な愛を表現するアガペ(agape)という言葉は、キリスト教において神が上下貴賎に関わらず、すべての人間に注ぐ愛を意味するものであり、「人が他人を愛することができるのは、人が神に愛されているということを感ずるからである。」と信じられています。同様に幼い子どもの心に、愛されるという経験を植え付けることは、その子どもに「あたたかい心」を育む最も大切なプロセスである、と言えましょう。
 橋本武夫氏は、育児の中で母親が子どもを抱きしめる行為(Hug)と母乳保育が「あたたかい心」を子どもに待たせるのに大切である、と言っております。Hugには、単に抱きしめるという意味を超えて、相手を守ってやる、愛している、という意味合いも含まれており、その言葉だけでHugされた子どもの幸せ一杯な顔が目に浮かんできます。母乳保育はHugされるだけでなく、乳の匂いや温かさなどを感じることによる母親との一体感が、さらに両者の絶対的な信頼関係が醸し出されていきます。もちろん母親からだけでなく、第2章で述べた大江健三郎とその長男の光君との関係のように父親からも、また両親以外の人に育てられる子どもにおいては養育者からも、愛情を与えられることによって、子どもは「あたたかい心」を学ぶことができるのです。

2)自分と他人の繋がり知ることによって
2才から3才頃に、今までお母さんの言いなりになっていた子どもに自我が芽生え、いわゆる反抗期となります。この時期に子どもの反抗に手を焼いて言いなりにしてしまうと、我が儘(まま)な子どもに育ってしまい、世界の中心が自分になり、周りの人たちの迷惑に無頓着になってしまいます。そのように育てられてしまった子どもは、大きくなって社会の中で生きて行くのに、大変な苦労をすることになってしまいます。ですから、その頃に多少厳しくとも、みんなと一緒に生きる為の基本的なルールを教えてあげなければならないのです。辛いけれども、叱るべき時にしっかり叱るのも、本当の親の愛情なのです。それが第1章で述べた、躾(しつけ)であり優情(ゆうじょう)なのです。
 それ以上に大切なことは、自分の事で頭が一杯で他人の事を考える習慣が身に着いていない子どもは、相手の心を感ずることのできない子ども、すなわち「やさしさ」の乏しい人間に育ってしまいます。自分を知るということは、自分以外の他人を知ることに繋がります。自分が痛いならば他人も痛いであろう、自分が悲しいことは他人も悲しいであろう、と思う心が、「あたたかい心」のはじまりです。第4章の佳子様への手紙のように、転んで泣いている友達に無意識に駆け寄って「痛かった?」と慰める子どもは、また他人が泣いているのを見て自分も涙する子どもは、すでに「あたたかい心」が培われているのです。
 子どもは、自分がやさしくされることと共に、周りの人達がお互いを思いやって一緒に生きている姿を見ることによって、相手を思うことの大切さを学ぶのです。ですから、両親がバラバラでいつも刺々しく諍いを起こしている家庭や、子ども同士がいじめあっている環境で育てられた子どもは、「あたたかい心」を育むことができず、やがて自分も他人をいじめ、他人と諍いをするように育って行ってしまうのです。
 このように自我に目覚め、自分以外の他人と共に生きることに気付く2から3才頃が、一生の「あたたかい心」を育むのに、最も大切な時であることが理解できるでしょう。それが第1章で述べた「三つ子の魂百までも」の諺です。この自分と他人の繋がり(連続性)を知ることの重要性については、次の第6章で、もう少し詳しくお話しましょう。

3)他人から受けたやさしさに感動する
 有名なビクトル・ユーゴの「ああ無情」の主人公であるジャンバルジャンは、盗人である自分を信じ受け入れてくれて、盗んだ銀の食台を逆に与えてくれた牧師様の愛を受け、あたたかい心に目覚めています。アップリカ育児研究会の葛西健蔵氏は、殺人を犯した複数の青年を絶対的に信頼し受け入れることで再生させています。葛西氏は、服役中のそれらの青年達の身元引受人となって彼らに接し、社会に復帰した後を自分が全面的に受け入れることを約束したのです。それが私利私欲や利害関係を超越した行為であることを知った時に、人生の道を踏み外してしまったと思っていた青年達が、自分の心の苦しみや葛藤を理解してくれる人がいる、と実感したのです。それが、その奇跡的なことを可能にした秘密と考えられます。
 このように、人間は他人から受けた自分への思いやりに心を突き動かされ、「あたたかい心」を学ぶことが知られていますが、さらにシュバイツアーやガンジーのように、我が身をかえり見ないで他人の為に尽くす人の姿に感動したし人は、自分も他人の為に生きることの出来る心を持つ人になれるのです。それは、人が生来的に持っている「あたたかい心」を呼び覚ましてくれるからと考えられます。
 私が個人的に、人は「あたたかい心」を生来的に持ちうる生き物である、ということを心に焼きつけられた忘れられないエピソードがあります。それは、1982年1月13日にワシントン空港を離陸しようとした飛行機が失速し、厳冬のポトマク河に不時着した時の出来事です。飛行機から氷のように冷たい河に脱出した乗客の救助がヘリコプタで行なわれました。その救助を待っている中で、1人の男性が自分の所に投げられた救命具を2度まで他の女性に譲ったのです。その女性は救助されましたが、その男性は河の流れに消えて行ったことが、実況でテレビ報道されました。たまたまそれを見ていた私は、信じられない出来事のように思われましたが、それが事実であることに思い至ると、しばらくは涙が止まらなくなってしまいました。
 その時私は、やはりかって南米からのテレビ中継で見た、地震で出来た大きな水溜りの中で足を瓦礫に挟まれて脱出できないでいた10歳ほどの少年を思い出しました。その少年は人々がなすすべも無く見守る中で、にっこり笑いながら感謝するように投げキッスをして水の中に消えていったのです。人の死という冷厳な事実の記録でしたが、あのような年端も行かない子どもでさえ、死の際にあのような周囲の人に思いをはせる行為が出来ることに感動すると共に、人間は生来的に共に生きるあたたかい心をDNAの中にインプリントされているのだ、と確信したのです。
 他人を蹴落とす風潮の現代においても、他人の命を助ける為に自分の命を危険に曝す行為を行なうことが出来る人がいる、ということを知るだけでも、滅びに向かっているかもしれない人類に対し、ある救いを見いだすことが出来るのではないでしょうか。もちろんすべての人がそのようなドラマチックな出来事に遭遇するとは限りませんが、長い人生の中で人々は、大なり小なり他人から受けるやさしさによって、「あたたかい心」を育んで来ているのです。

4) 霊的・宗教的体験から学ぶ
仏教の本の中に、石が竹に当たった音を聞いた一瞬に、悟りと呼ばれる境地に達した禅僧の話があります。悟りの境地とは、すべてを受け入れることのできる精神状態、と言われていますので、ある意味では「やさしさ」の極致と共通した心と考えられます。また、聖パウロが砂漠で神の声を聞いて、今まで自分が迫害していたイエス・キリストへの絶対的な信仰者に変わったエピソードなど、霊的・宗教的体験がキッカケとなって、他人の心を受け入れることの出来る「あたたかい心」に目覚めた多くの例が知られています。
 しかし、それは人知を超えた奇跡や魔法的な出来事への畏敬の念からだけではなく、本来人間が持っている「あたたかい心」が、その出来事によって目覚めたものであると考えられます。というのは、私の尊敬する元上智大学学長のピタウ大司教が、神は万物をお創りになった最後に、神のレプリカとして人間をお創りになった、とおっしゃられたごとく、本来すべての人間は基本的に神に近い心を与えられている、と言えましょう。「神に近い心」とは、すべてを愛することの出来る「やさしさ」の極限の心ですが、残念ながら人が生きていく間の浮き世の諸々の曇りによって、その「あたたかい心」が被い隠されてしまいます。霊的・宗教的な強烈な体験がきっかけとなって、その曇りが払われて本来の「やさしさ」の極限である神聖が顕われる、のではないかと考えられますが、それは長い人生の中でも僥倖のような出来事でしょう。それゆえ、人生の始まりである子どもの時から、生来的に与えられている「あたたかい心」を育んでおくことが、より実際的であり重要であることは言うまでもありません。

5)生来的に育まれている「あたたかい心」
 生物学的存在であった人という弱い生き物が、人間という社会的存在になった時に、地上で最強の生物となり今の繁栄をもたらしたことは前にも述べました。その社会的存在となる、すなわち仲間と共に生きることが出来る為の最も大切な要素が、相手のことに思いを馳せる「あたたかい心」なのです。この考えは単なる推論の域を超え、人類学者や脳科学者などの多くの専門家の研究から、学術的にも力強いサポートを受けているのです。
 あの自然選択説(natural selection theory)に基づく進化論を発表したダーウインも、実は「お互いに助け合う方が、弱い人間が生存する為により適応的であると考え、他人の為に行動すること(利他性)が、人間をより社会性の高い動物に発達させた。」と考えていました。残念ながらダーウインの進化論は、強い者が弱い者との生存競争に勝って繁栄してゆく、と誤解され、弱者を助けることは自然の哲理に逆らうことだ、とさえ考える人が少なくありません。ですから、私が未熟児や病気の新生児のスライドを出すと、どうしてそのような新生児を助けるのか、と質問されることが稀ならずあります。ダーウインは、各々のおかれた環境に生物は適応して変化してゆくことを示したのであり、暑い所では暑い所に適応した生き物が生き残り、寒い所には寒い所に適した生き物が住むようになったのです。暑い所に住む生き物が寒い所に住む生き物より進化した高等な生き物である、とは誰も考えません。むしろ寒い所にすむ為には、暑い所ですむ能力を失って(退化して)いるでしょう。ですから、その変化はその生物が置かれた状況における適応変化であり、必ずしも生物全体としてより高度な能力を次々と獲得してゆく方向に進む、進化と呼びうる変化とは限らないのです。
 有名なガラパゴル島の生き物に代表されるように、地球上のさまざまの環境に適応するさまざまの生物が発生した多様性を説明したことこそ、ダーウインの進化論の素晴らしさなのです。実は、この多様性が進化のキーワードであり、みんな違って、みんな各々に生きる意味があり、みんな素晴らしいという、「あたたかい心」の根源なのです。沢山の少しずつ異なった生き物がいるからこそ、ある種が環境の変化に耐えて適応し、次世代に子孫を残すことが出来るのです。生命の根源的な設計図であるDNAさえも、全く同じものがコピーされて子孫に伝わるのではないばかりでなく、そこに書かれている遺伝情報の読み取りさえも、環境などの種種の影響を受けて異なるのです。
 また雄と雌という性の分化も、この多様性を作り出すための進化の戦略なのです。同じ遺伝子の塊である染色体が二つに分かれて二つの同じ生物が出来るアメーバーや細菌のレベルの生殖と違って、有性生殖は雄と雌の両方からランダムに取り出された染色体が交じり合って新しい生命を生み出すので、その組み合わせは天文学的な数となります。ですから、一卵性双生児を除けば、世界中に何十億と住んでいる人間のDNAの組み合わせはみんな違うのです。実は全く同じ遺伝情報を持つ一卵性双生児さえも,その発育の過程で環境の影響を受けるため、その遺伝情報の発現が異なって、これが一卵性の双子、といわれるほど異なった性格と成り得るので、世の中に全く同じ人間はいないのです。
 この多様性は、適応と進化のキーワードとしてだけでなく、繰り返すようですが「あたたかい心」を育むキーワードとしても重要なのです。細菌類から植物、さらに草食動物から肉食動物と繋がる食物連鎖を持ち出すまでもなく、異なった生き物が連なり助け合い共に生きていく大切さに思いを馳せれば、多様性の素晴らしさを認識して異なった相手も尊重し、あたたかい心に繋がるのです。
 さらに近年、あたたかい心と倫理的思考はつながっている、という学術的な本が数多く目にされるようになりました。それは本来倫理の「倫」という言葉の意味は「仲間」という意味であり、倫理とは仲間内の理(ことわり、決め事)であるところから、みんなが納得する事柄を探し出すだすことは、相手のことを考えなければ出来ないことです。ですから、相手に思いを馳せる「あたたかい心」とは倫理的思考に無くてはならないキーワードなのです。その倫理的思考の積み重ねの中から、もう誰にとっても議論の余地が無い普遍的な事柄が、やがて道徳と呼ばれるようになったのです。
 人類の進化の過程によって獲得された、弱い生き物が生き貫く為の知恵としての共に生きる倫理規範は、生きる為の本能のようなDNAに焼き付けられた遺伝情報のレベルには至っていないので、先人から受け継がれた宝物であっても、その発現は環境の影響を受けやすいものであることを忘れてはいけません。これまで述べてきたように、幼い子どもの育児環境によって、先人に与えられたはずである「あたたかい心」さえ、それが子どもの中に発現するかどうかが、子育て環境に左右されるのです。
 人間の他の動物より優れている能力は、教育によって獲得した知識を子々孫々に伝え教えて蓄積することであり、さらにその積み上げられた知識を駆使して、新しいものを考え出す思考力です。その二つの能力によって人間は、育児環境もふくめた自分たちの生活環境を変えることが出来ます。その自らが変えた環境によって、子どもの心は、さらに人間自身が、変わってゆくのです。自然の成り行きを越えた人為的変化が加速し、それが人類の繁栄と幸せに向かうのか、或いは「あたたかい心を育む」ことが出来ず争いと滅びの方向に向かうのか、正に現代こそは、その瀬戸際のように感じられます。

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第6章 「あたたかい心」の根源 —連続と不連続の思想—

 これまで、「あたたかい心」について多くを語ってきました。その考え方は、「あたたかい心」が相手を思うことであるところから、人はひとりでは生きていけない生物であり、仲間と共に生きる社会的存在としての人間であることが前提となります。子どもが母親から「あたたかい心」を学ぶのは、自分以外の人が絶対的な愛を注ぎ込んでくれる、ということを認識するからなのです。なぜ母親は子どもに絶対的な愛を注ぎ込むのでHしょうか。それは母と子の心の絆、すなわち両者の連続性を理屈抜きに感じ取っているからです。
このように私達が「あたたかい心」を学ぶ基本的なプロセスの背景には、私達は一人一人がみんな異なっているのに、根源的には繋がっていることを感じるという、これから述べる「連続と不連続の思想」が大きな役割を果たしています。

1)温もりのある連続した宇宙
 私達の世界はすべて連続です。時間も空間も、さらには物質さえも連続なのです。たとえば、私達は時間を切ることができるでしょうか。同様に空間を切ることができるでしょうか。また物質も、分子や原子のレベルを超えてクオークとよばれるより微少の世界までさかのぼれば、重さも大きさもない世界に辿り着き、空間と癒合してしまうことが知られています。
このように我々を取り巻く世界のすべては連続なのです。しかし、私達は生きて行く知恵として、時間を一時間は60分であるとか一日は24時間であると分けて、一瞬の間にすぎない時を「今は2004年の1月5日11時55分である」と、人為的に不連続にして扱っているのです。空間においても、日本・東京・新宿区・河田町さらに1丁目8番地などと、実は連続であるものを人為的に不連続に分けています。物質に関しても、最新の物理学では物質と空間は連続と考えられているのですが、素粒子のレベルまでを思い出さないと、その連続性を感じませんので、不連続として扱っているのです。
 人間と他の動物の間においても、同様な連続と不連続の考え方が出来ます。例えば人とチンパンジーの遺伝子の核酸配列は、その98%までが同じであることが知られており、その意味では両者は連続していると言えるのです。最も原始的な生き物のひとつであるゾウリムシをとりあげてみても、そのDNAの基本的な構造は我々人間と同様であり、そのDNAという設計図から蛋白をつくり出す約束事である暗号のような核酸の配列までも同じなのです。ということはゾウリムシから人間まで、すべての生き物は系統発生という一つの繋がりで結ばれているのです。
 しかし、私達も含めて生き物はすべて連続した繋がりがあることを知りながらも、やはり人間は特別である、と他の生物とは一線を画した不連続な存在であることを認めなければ、生きてゆく為の活動を一歩も進めることが出来なくなります。それは神が人間を作られたという宗教的な考えや、人間は宇宙の果てまで思いをはせることの出来るほどの他の生き物にはない能力を持っているという事実を離れて、私たちを取り巻く世界との連続を認識しながらも生きて行かなければならない、知恵としてなのです。
さらに生命体と物質の間においても、DNAのレベルまで考えれば、そのままではとても生命とは考えられない核酸という物質である、と言えるでしょう。しかし一度DNAに過ぎないウイルスが細胞の中に入ると、自分と同じものを造る生殖の機能を発揮します。さらに環境の変化に応じて生き残るための適応変異をする能力さえ示すようになるのです。そのような生物としての振る舞いをしますので、なんと生命体と物質の間さえ連続であると言えるのです。しかし私達は、命あるものには物質とは異なった、ある特殊な感覚を持って接しており、両者は科学的な思考の上では連続でも、私たちが生きる上では不連続とし受け取られています
 もう一つ、私達と宇宙のつながりを考える上で大切な事実があります。それは私たちの体を作っている自然界にある92の元素の中で、金や銀といった原子番号の大きい重い部類に入る物質は、この地球上どころか太陽系内でも作ることが出来ず、それらは私たち以外の天体で出来た物なのです。太陽程度の大きさの星は、核融合でエネルギーを出して燃え尽きると、白色惑星と呼ばれる冷たい星になって、その一生を終えます。しかし太陽の3倍以上の質量のある星は、ある時点で自分の重さに耐え切れなくなって、すべての物質がその中心に落ち込んで大爆発を起こし、その一生を終えます。それが超新星と呼ばれる突然明るい星が現れる現象です。その時に物凄い熱と圧力が加わることによって、金や銀のような重い質量の元素が出来るのです。爆発の最後は、中性子だけが残った中性子星になるのですが、その爆発の時に出来た重い元素は四方に飛び散ります。この宇宙では今現在でも、絶えずこのような超新星が発生し、重い元素が造られては周りにばら撒かれているのです。その宇宙の彼方で出来た金や銀のような太陽系では出来ない元素が、雪のように漂って地球に舞い降り、私たちの体の重要な部分を造っていることを考えると、正に私達はみんな宇宙の落とし子であることを実感するでしょう。私達はみんな、こんな風にも宇宙と繋がっており、みんな仲間であると考えると、なんだかロマンチックな気持ちになりませんか。
このように考えると、私達の住んでいる宇宙は、私たちを育んだ母であると同時に、約135億光年の時間の歴史と空間の広がりとをもった連続体としてとらえることができます。さらに宇宙がビックバンと呼ばれる火の玉で始まったと考えられているので、実は全宇宙は、その残り火である黒体輻射と呼ばれる絶対3℃(絶対温度の摂氏マイナス273.15度より3度高い温度)の温もりで満たされているのです。私達は、すべてそのぬくもりの中の一部であると考えれば、人と人との間においても、あたたかい心のつながりを感じるのではないでしょうか。

2)私と貴方の連続性
 哲学者のマルチン ブーマーはその著書「我と汝(なんじ)」の中で、「我が汝と語りかける時、我にとって汝となる人は、自己のうちに全体を宿すことのできる者である。」と述べております。すなわち、「あなたから見れば私はあなたであり、私から見ればあなたは私なのです。私が痛みを感ずればあなたも痛みを感ずるであろうし、私が悲しければあなたも悲しいであろうし、あなたが楽しければ私も楽しいであろう。」という思想です。このように我(私)と汝(貴方)の両者は、立場をかえただけで同じものになりうる連続性をもっていると考えることができます。それが相手への思いを馳せる「あたたかい心」の源泉であり、その背景には「私もあなたもすべて繋がっている。」という連続の認識と、しかしながら、「私は私であり貴方は貴方である」という不連続の認識、の調和が必要なのです。
 人間は、自分は自分であり他人は他人である、という不連続を認めながら、連続した社会の中で生きているのです。同時に立場をかえれば、他人は自分となり自分は他人となり得るという、人間としてのつながりを感じながら生きているのです。このような他人とのつながりを感ずる連続性が、社会を形作っているのです。その具体的な一例をあげると、私達は現在たまたま健康な成人であるが、かつては弱い赤ちゃんであり、いつかは必ず弱い老人となり、また、いつかは障害者となるかも知れないのです。
 このように考えれば、病気の新生児は助かっても障害を残すから、と簡単に切り捨てる意見を述べるのは、自分がかつて新生児であった連続性を忘れているからです。また、電車に乗っていた老人がよろめいて、その足を踏んだ時に、「老人は家で静かにしているのがいいのだ。」と怒鳴る若者は、自分が必ず老人になるという連続性を認識していないからなのです。同様に、障害者を異邦人のように見てしまうのは、自分が障害者とは別な人間と思ってしまうからです。私達がいつ障害者になるかは紙一重であるだけでなく、多少なりとも障害の無い人などいないのです。そう考えれば、障害者は自分の分身であり一部である、という連続性を感じるはずです。 このように弱い新生児は自分の過去であり、弱い老人は自分の未来であり、弱い障害者は自分の分身である、という連続性を感じることが、相手を思いやる「あたたかい心」の源泉となるのです。
 子どもは、自我が芽生えことによって自分を知り、自分を知ることによって他人を認識するようになります。この時に自分と他人の連続性を感覚的に知ることが、他人と共に生きることの大切さを学ぶ最初の大切なキーワードとなります。子どもは、もともと自分と他人を区別する能力が十分でなく、他人の物も自分の物も錯覚して、というよりはその区別がわからず、極く当たり前に相手の物を取ってしまいます。また、自分と他人が分からない間は相手の痛みを理解することは出来ませんので、手加減無く相手を噛んだり打ったりするのです。自分と他人の区別が出来るようになった頃には、相手が痛いことは自分が痛いことと同じであることを教えなければなりません。私達大人は、他人が怪我をして血が流れているのを見ただけで、自分が怪我をしたようなゾッとする様な感覚が体を走るのを経験します。それは、無意識に相手の痛みが自分に投影される現象だからなのです。相手の痛いことを自分の痛みとして無意識に感じてしまうように、自分と他人の連続性を学習することはとても大切なことなのです。子どもの時に、そのような感覚を学ばないまま生長してしまった人が、相手の痛みに無頓着に傷つけてしまうことになるのです。話を聴いただけで、虫唾が走るような少年や若者の犯罪が起こっているのは、そんなところにも原因の一つがあると思っています。

3)時間と空間を越えた縦と横の繋がり
 若者の中に、「私を産んでくれと頼んだ覚えは無い。ほっといてくれ。」と親に暴言を吐く者がいます。それを、独立心がある、などとおだててはいけないのです。私達は誰もが赤ちゃんで生まれ、親に育てられて大きくなったという恩を忘れてはいけない、などと言うつもりはありませんが、それ以上に、すべての命は40億年に渡る生命の歴史の結果であることを思い知らなければならないのです。人がこの世に生を受けたということは、その父母が居たからであり、されにその父母が生まれたのは祖父母が居たからであると、どんどん考えていけば、私達は親や祖父母を超えた人類の歴史の流れに思い至るのです。
 私の子供達は田舎の実家に帰ると、まず最初に極自然に仏壇の前に行って手を合わせます。私たちが今ここに居るのは、私たちの先人のお蔭である有り難さを知れば、親や先祖を敬うのは当たり前のことになります。子供の時から親がすることを見ていれば、それは理屈抜きに身に付くはずのことです。何も言われなくとも自分から仏壇やお墓に手を合わせることの出きる子どもが、昨今のニュースで目にするような親を殺すなどという事件を起こすはずはありません。
 最新の人類学によると、我々新人類の共通の祖先と目されるルーシーと名づけられた女性の骨格の化石がアフリカで発掘されました。すなわち世界中の人は、みんなルーシという女性の子どもなのです。ちなみに、そのルーシーという名前の由来は、発掘に携わっていた若者達が聞いていた音楽が、ビートルズの「ルーシー インザスカイ」だったからだそうです。こんなことからも私達はみんな、その基を糺せば一族郎党であり繋がっている、という思いを新たにしなければなりません。
 もう一つ、私たちが今ここに存在していることに関わっている繋がりには、人類学的な縦の命の流れだけでなく、共に支え助け合っている横の繋がりがあります。私たちの身の回りに在るすべての物が、また私たちが生きて行く為の衣食住の活動そのものが、なんと多くの人のお蔭をもって存在していることか、その多くの人たちとの横の繋がりとそのありがたさを感じなければなりません。私は「連続と不連続の思想;あたたかい心の根源」の講演の枕に、今私がここに居るのは奇跡的なほど多くの人とのつながりの結果なのです、と云うことにしています。それは言葉の遊びでなく、本当にそう思うからなのです。
 人と人の繋がりが、私たちの想像を超えてどのくらい密であるかを示すのに、「複雑な世界―単純な法則」という本によれば、なんと約6人に紹介者として間を取り持ってもらえれば、地球上のすべての人と知り合いになることができるのだそうです。同様に、インターネットも約6回クリックしてリンクのまたリンクを繰り返すと、世界中の個人レベルのマイコンにまで繋がるというのです。このように私たちの世界は、網の目のような人間関係で成り立っているのです。その程度の差はあれ世界中の誰もが重要であり、一瞬一瞬のその人の役割が世界中の人の存在に関与しているのです。その逆を考えれば、私は世界中の人との繋がりで今ここに存在しているのです。この事実を、単なる理屈としての理解のレベルを超えて感じることが出来れば、それが「あたたかい心」の源泉となるのです。

4)社会を型造る背着剤の役目
 第4章でルワンダの例を挙げましたが、今現在もイラクなど世界各地で起っている戦争やテロは、お互いに相手と自分のつながりを感ずれば、あれ程の残酷な行為は出来ないはずです。我々の社会を形成している接着剤のような役目をしている最も大切なものが、この連続性に基づくあたたかい心なのです。あたたかい心を失った時に、人と人との心の繋がりが失われ、その社会は一瞬にして崩壊します。人類の歴史の中で、ナチスのユダヤ人虐殺の例をあげるまでもなく、数多くのフォロコーストと呼ばれる痛ましい大量虐殺のエピソードがくり返されてきました。
 人間は民族や言語や歴史や宗教によって、人為的に作られた国家や部族のような数多くの集団として生きています。各々の集団の間に引かれているその不連続の線は、国際社会が国という単位で機能していくために必要であることは認めなければなりません。しかしそれを超えた人類として、さらに人間としての連続性を思い、相手の痛みや苦しみを自分の痛みや苦しみとして捕らえることができるならば、その不連続線を認めながらも、あたたかい心に根付いた人間性を保った共存が可能なはずであります。
 医師で冒険家の関野吉晴氏は、私たち人類の祖先が最も遠くまで旅をした道のりを、南米の先端のフェゴ島から人類発祥の地と考えられているエチオピアまで、5万数千キロを人の力だけで実際に辿りました。彼から何度かお会いする機会がありましたが、冒険家という筋骨隆々のイメージと異なった思索家のような物静かな雰囲気と、人間への自然へのあたたかい思いが伝わるお話が印象深く心に残っています。その中で最も忘れられない関野さんのコメントは、「厳しい自然環境のアラスカでイヌイットの人たちと何ヶ月か一緒に生活した時に、彼らに、生きてゆく上で最も大切なものは何か?と質問したところ、答えは犬そりとか弓矢でなく、共に生きるためのあたたかい心である、と答えた」というものでした。最も原始的に生きている彼らだからこそ、その言葉の持つ深い意味が心に染み渡ります。
 残念なことに民族や国家間だけでなく、我々の身近な家族という小さな共存の単位にさえも、イヌイット達が持ち続けてきたあたたかい心という人と人の絆のほころびが起こっています。愛しあって生活してきた家族が、憎しみ合い、いがみ合い、そして崩壊することが日常茶飯事に巷で起こっています。あらためて、揺るぎないやさしさを人々の心に育んでおくことの重要性が認識されると思います。その為には、子どもの時に母親等の養育者から「あたたかい心」を育まれ、自分と他人を認識するようになった頃から、連続と不連続の考えに根ざした「共に生きる知恵」を身に付けてることが大切なのです。

5)ガイアという地球

「ガイア」とはもともとギリシャ神話の大地の女神のことですが、カオス(混沌)からガイア(大地)が生まれ、さらにガイアからウラノス(天空)とオケアノス(大洋)が創られたというところから、ガイヤは天も海も大地も含めた地球全体を意味するといえます。私たち生物はそれぞれに勝手に生きているように見えながら、生態系全体として調和が取れているのは、地球が私たち生物を生存し易いようにサポートしてくれているからだという考えから、地球全体を生命体として捉えるガイヤ思想が生まれました。
宇宙飛行士は、真っ暗な宇宙の中に青く浮かぶ地球を見た感動を、「地球は生きている」と述べています。それは単なる見た目の感想の意味でなく、宇宙飛行士たちは本当に地球が一つの生物体として機能していることを実感したのです。正にガイヤの思想そのものです。地球全体を肉眼で見るという特殊な体験は、人に神を感じさせるような心境にするようで、多くの宇宙飛行士が宇宙から帰還後、信仰に目覚める例が多いことが、立花隆の宇宙からの帰還した人たちへのインタビューに記録されています。 もしかしたら、仏陀やキリストのような聖人は、地上にいながら宇宙飛行士と同様な感覚を得ることの出来る天才だったのではなのでしょうか。
 さらに宇宙物理学者の中には、たとえ宇宙創設以来の130億年余の歳月を考えても、地球という人間が存在することが出来る環境を造り出すことは奇跡的なことであり、この宇宙は人間を生み出す為に出来た、と真面目に学術的な論文(宇宙人間原則論)にしている人達がいます。 旧約聖書の創世記にある『はじめに光ありき』という言葉は、神による宇宙創造がビッグバン(火の玉の爆発)であったことを示唆し、それに『神は万物を創った最後に人間を御造りになった』という聖書の言葉を組み合わせると、その宇宙人間原則論は符牒が合う考え方となります。
 そのような宗教的な直感のような考え方とは別に、地球環境学の知識を深く学んだ人達の中からも地球が一つ生態系であり、さらには一つの生き物にように捕らえるガイヤ思想が生まれました。坂本龍一監督の地球交響楽というセミドキュメンタリーの映画は、その考えを広く世に広める役割を果たしています。私もその映画から、私達はガイヤという地球に共に生きていることを実感し、大変感銘した記憶があります。このような奇跡的な星に生まれた我々は、同胞と共にこの地球に生きる幸せを感じよう、というメッセージが伝わってきます。その映画の中で、ダライ・ラマが「私達はみんな宇宙の落とし子であり、この世に単独で起こっている現象は一つもなく、すべてが繋がっている。だから何事も結果のみを心配しないで、今を一所懸命生きなさい。そうすれば必ず落ち着く所に落ち着くのだ。」と話していました。大宇宙に囲まれた地球号の乗組員の一人としての自分が目に浮かぶようでした。
 2007年の記録映画部門でアカデミー賞を獲得したAn inconvenient truth(不都合な真実)は、元アメリカ副大統領のアル ゴア氏が地球温暖化に対する警鐘を鳴らしている映画で、私たちすべての生命の共同の母である地球は、いまひどく病んでいることを認識させるものです。私たちが生きている大地と大気層は、まるでゆで卵の薄皮のように地球の表面を覆っている程度の、頼りないほど薄いものなのです。人間だけでなく地球上のすべての生物が生存の危機に晒されつつあります。北極の氷が融けて少なくなってしまい白熊までも溺れる姿は、信じられない現実が目の前に迫っていることを実感させられ、背筋が寒くなる思いでした。自分の会社だけや自分の国だけを考える経済至上主義が大気中の炭酸ガス濃度を上昇させ、私たちの地球の温暖化のスピードは人々の予想をはるかに超えて進んでいます。核爆発が起こる臨界点と同様な意味合いの、後戻りが出来ない危険域(point of no return)は後何十年先ではなく、すでに私たちの世代で達してしますと警告しています。私たちの地球号が沈没の危険に晒されているのに、乗組員の私達はそれに気がつかないで自分のことしか頭にないのです。共に生きる心、すなわち相手を思うあたたかい心が、今ほど大切な時はありません。

第7章 「あたたかい心」を育む医療

1)日本の新生児医療は、なぜ世界一となったか

 日本の新生児医療のレベルは、世界一になりました。乳児死亡率は1000人の赤ちゃんが出生してから1才までに亡くなる数ですが、私が生まれた1942年(昭和17年)頃は80以上でした。ということは、その頃は生まれ赤ちゃんの10人に一人近くが、1歳までに亡くなっていたのです。事実私は7人兄弟ですが、兄が小さい時にジフテリアで亡くなっています。その乳児死亡の約3分の2は新生児死亡ですので、新生児死亡率が低いことが日本の乳児死亡率を世界一にした最大の要因なのです。日本の乳児死亡率が1988年に4.8と人類史上始めて5の壁を破ったことを、私は昨日のことのように覚えています。子どもの医療に携る者にとって、乳児死亡率の5という数字は100メートルで10秒を切るように、長い間の我々の夢のような数であったからです。その夢の5の壁を破ったのは、アメリカでもイギリスでもスウェーデンでもなく日本であったことに、小児科医として大きな喜びでと誇りを感じました。
 ある国の文明度を比較する時に、国民総生産高や識字率などが比べられますが、ユネスコ等では新生児死亡率・乳児死亡率・母体死亡率という母子医療の統計を用います。日本は経済大国になっただけではなく、それらの統計においても、胸をはって世界一流の文明国になったと言えるようになったのです。世界には核兵器や宇宙ロケットを持ちながらも、母子医療の死亡率が発展途上国並みの国がいくつかあります。医療に関係する者の評価としては、それらの国を、とても文明国とは呼ぶわけには行かないのです。それらの国もその事実を恥じていて、1980年に超大国のソビエット連邦から、進んだ日本の新生児医療について、国内各地から再研修の為に集まった医師たちに教育する要請を受けたことがありました。
 私は幸いにも、日本の新生児医療の高いレベルの恩恵を受けて、海外で講演をする機会が少なからずありますが、その時に必ず「なぜ日本は世界一になったのか」と質問されます。私のそれに対する答えは、日本の衛生環境の改善や医療技術の進歩も然ることながら、「いわゆる社会ダーウィニズム」から脱却して、共に助け合って生きる社会になったことを、最も重要な要素として挙げることにしています。
「いわゆる社会ダーウィニズム」とは「種の起源」で知られるダーウィンの「自然選択」の考えから誤って演繹された、弱い赤ちゃんや病気の赤ちゃんを助けることは人類の進歩にマイナスの効果を与える、という思想です。第5章でも触れたごとく、もちろんこのような考えはダーウィンの基本的な思想とは異なったものですが、こと新生児医療のことになると、医療者のような専門家でさえ「いわゆる社会ダーウィニズム」の考え方を持つ人が少なく無いのです。私はこれまで何度も「仁志田先生、どうしてこんな未熟児を助けるのですか?」と聞かれました。その度に「もし、この患者さんが赤ちゃんでなく、あなたのご主人や高校生の息子さんが交通事故で集中治療室に運ばれた状態としたら、どうしますか。」と答えることにしています。質問者のほとんどが、赤ちゃんを自分たちと差別していたことに気づいて、口をつぐみます。赤ちゃんでも今の医療のレベルで助かるならば、大人が医療の恩恵を受けて助かることと、何ら変わることは無いはずです。弱い遺伝子を持った赤ちゃんを切り捨てることが、人類の進歩の為に必要悪であるという考えは、単にやさしさが無いのみならず、如何に危険で恐ろしいことであるか、すでにナチスの例を挙げるまでもなく歴史が証明しているのです。
 このように日本の新生児医療の進歩の根源には、社会の進歩と豊かさとともに、最も弱い我々の仲間である新生児とともに生きる、「あたたかい心」の医療が行われるようになったからである、と確信しています。

2)「あたたかい心」を育む新生児医療の重要性

 現在の日本では、出生体重が1000g未満の超低出生体重児と呼ばれる未熟児であっても、その約80%が生存するようになったばかりでなく、助かった子どものほぼ三分の二は脳性麻痺などの重篤な後遺症から免れるようになりました。しかしそのような子ども達を、学校に入るまで経過を観察(フォローアップ)すると、視力障害も無く、聴力障害も無く、脳性麻痺などによる運動障害も無く、さらに、知能指数(IQ)も100以上と通常の検査では知能障害も無いのに、集団生活がうまく行かず、学習障害となる児がいることに気付かれるようになりました。
 なぜそのような子どもが、通常の評価では障害がないと思われたのに、学校の先生の言うことを聞けず、他の子ども達と仲良くやって行けないのかを考えると、それは相手の心を読み取って反応することが出来ない、「いわゆるコミュニケーション障害」と呼ばれる問題のためであることが分かってきました。数学ができて漢字が書けても、相手が何を望んでいるかを読み取ることは、もっともっと高度な高次脳機能と呼ばれる働きが必要なのです。その子ども達は、その高次脳機能に問題があると考えられました。
 私達は無意識に、相手の表情や声の調子から、悲しんでいるのか、とても嬉しい気持ちなのか、私に何かをして欲しいのか、逆にして欲しくないのか等、様々なことを一瞬の間に読み取り、それに反応して社会生活を営んでいるのです。そのような高次脳機能が十分に育まれなかった子どもは、相手の心を読み取る能力に欠陥があるため、共同生活ができず、学習障害となると考えられています。そのような高次脳機能が育まれなかった子どもは、学習障害のみならず社会生活に支障を来すところから、行動異常児となる可能性が高くなってしまうのです。(このような高次脳機能に関しては次の第8章で詳しく触れます)
 超低出生体重児のように長い間病院に入院しなければならなかった子供たちに、高次脳機能の障害が起り易いことが少しづつ明らかになってきました。このような高度な未熟性を持って生まれた新生児は、まだ子宮外での環境に適応してゆくだけの機能を備えていません。ですから、おむつを変えたり、体重を測定したりという僅かな刺激に対しても、脈が遅くなったり、血圧が下がったり、無呼吸になったり、酸素濃度が低下したり、というストレス反応をおこし、同時にステロイドホルモンなどの分泌が高まることが示されています。未熟児の中でも、特に出生体重が1、500グラム未満の児がNICUに入院した最初の数日間は、なんと1日200回以上ものそのようなストレスを伴う扱いを受けていることが、24時間ビデオ記録の分析から明らかにされています。大人に例えれば、一日200回以上も鞭で打たれるような状態に曝される、と言えましょう。
そのようなストレスを受けると、セロトニンという精神活動に関与する物質が作用する脳細胞において、アポトーシス(細胞の自己死滅)を促すプロセスが促進されることが、動物実験で示されています。言葉を変えるならば、ストレスを受ける毎にやさしさに関与する高次脳機能を行う細胞が失われていくのです。そのような科学的なデータを抜きにしても、ストレスを与え続けられた子どもが、やさしさを失ってしまうことは、十分予想されるところです。

3)あたたかい心を育む看護
 このような理由から、近年新生児集中治療室(NICU)においては、未熟児にできるだけストレスを加えない看護(新生児個別的発達看護、ディベロプメンタルケア)が行われるようになりました。ディベロプメンタルケアとは、物言わない赤ちゃんを観察することによって、今何をして欲しいか、何をして欲しくないかを読み取り、それに応じたケアを行うことによって、赤ちゃんに加わるストレスを少なくする看護のことです。
 例えば赤ちゃんが泣いているのは、お腹が空いているからなのか、眠いのに眠れないので抱いて欲しいのか、を読み取り、赤ちゃんの要求に応じてミルクをあげたり、抱っこして寝せてあげたりするのです。さらに日常のケアにおいても、赤ちゃんにストレスとならないように配慮したケアを心掛けます。おむつを変える時には、これまでのように両足を持ってお尻を持ち上げるのではなく、児をゆっくりと斜に体位を変え、汚れたおむつと新しいおむつを変えた後に、元の位地に身体を戻すことなどや、沐浴の際には、まず児を柔らかい布で包み、足の先から徐々に浴槽に入れ、浴槽の中で身体に巻いた布を取って沐浴を始めるなど、できる限り赤ちゃんにとって侵襲を少なくするテクニックが色々工夫されています。それらの具体的な方法としては、ハーバード大学の臨床心理学者のAls博士等が、長い年月をかけて作成したNIDCAP(新生児個別的発達看護評価プログラム)と呼ばれる教育訓練プログラムができています。
 赤ちゃんに対して不必要に強すぎる光や音を少なくすることも大切なことです。保育器に入っている赤ちゃんにとって、そのポートホールと呼ばれる窓を閉める音は、新幹線が耳元を通るほどの大きさになるのです。また、睡眠パターンを中心とした人の生体リズムを正しく作るためには環境の光が重要な役目をしますので、医療者の仕事の都合で夜昼無く煌々と点けられていた明かりも、新生児室全体の照度を落とすだけでなく、保育器に覆いを掛けるなどの配慮がなされるようになりました。
本来はまだ母体のお腹の中にいるはずの未熟な赤ちゃんは,子宮壁にやさしく抱かれるように包まれ、羊水中に無重力のように浮いている状態です。未熟で生まれてしまうと、力のない赤ちゃんは重力に押し付けられるようなペチャンコな姿勢になり、不安定な手足がばらばらの方向に向いてしまいます。そんな未熟児にとって、一番安心する姿勢にしてあげるように、柔らかいタオルを筒状にして包んであげる、ポジショニングと呼ばれるテクニックも行われています。
このような児にストレスを加えない、やさしさの看護であるディベロプメンタルケアを受けた子どもと、従来のケアを受けた子どもを比べると、長期的な予後において、心の中枢と呼ばれている前頭葉の発達に差が生じていることが示されているのです。今まで児の命を助けることに忙しくて、母親を忘れてしまった教訓と同様に、障害を少なくする目的で過剰に加えられた侵襲が、赤ちゃんの前頭前野などの大切な脳の適切な発育を妨げていたのです。そのような理由から、ディベロプメンタルケアは、やさしい心を育む医療であると言われる由縁のです。
 これまでも新生児医療の大原則として、赤ちゃんに出来るだけ侵襲を加えないこと(non-invasive care)および愛情を持ってやさしく接すること(loving tender care)、が挙げられていました。日本は欧米諸国よりも歴史的にこの原則を重視してきた経緯がありますので、それが日本の未熟児医療の成績を世界のトップレベルとしている要因とさえ挙げられているのです。ですからディベロプメンタルケアは、新しい学問的な根拠に基づく看護法と考えるよりは、医療者の赤ちゃんに対するやさしさの重要性を再確認したものと考えています。赤ちゃんの心を読み取れるような感性を磨くことは、医学的知識や医療手技に劣らず大切なのです。

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第8章 脳科学と「あたたかい心」

1)「あたたかい心」と脳
「あたたかい心」とは第4章で触れましたように、他人の痛みや苦しみを自分の痛みや苦しみと感じることのできる心です。心に関しては、歴史の中では心の中心が感動することを「胸を打つ」と言うように心臓であったり、決心することを「腹を括る」と表現するようにお腹であったりしましたが、現在では脳の働きが、我々がいう心の呼ばれるものを表現していることが明らかとなっています。近年の脳科学の進歩は目覚ましいものがあり、かつては「神の領域」と言われていた「心すなわち脳」に迫ることが可能となってきました。
 脳を発生学的に大まかに分けると、爬虫類の脳と呼ばれる古い脳(旧皮質)と哺乳類の脳といわれる新しい脳(新皮質)になります。旧皮質は、外界からの刺激や暑い寒いなどの感覚に対する反射機構を中心とした、身を守るための本能や身体の恒常性(一定の状態)を守るためのシステムがその機能のほとんどで、脳幹部や脊髄などで脳の一番深いところにあります。新皮質は、脳の一番表面にあり、考えることによって判断をする、知性やより下部の脳機能の抑制の働きを持っています。その両者の中間で大脳辺縁系と呼ばれる場所(海馬・扁桃核・視床下部など)は、気持ちが良い悪いや好き嫌いといった感情を司ります。さらに前頭前野下部の眼窩皮質と呼ばれる場所から、その感情に対する報酬として脳内麻薬と呼ばれる快感を与えるエンドルフィンなどが分泌され、記憶などの条件付けに関与します。
 これらに加え、脳は単にコンピュータのように計算したり記憶したりといった機能だけでなく、脳の各部分からの情報や記憶という過去の体験を組み合わせて、より複雑な高次脳機能と呼ばれる働きによって、人を愛したり相手を可哀想と思ったりする、我々がいう心を紡ぎ出しています。
 その高次脳機能と呼ばれる極めて複雑な機能は、前頭前野と呼ばれる所で行われることが知られています。発生学的にも下等な動物の前頭葉の発達が悪く、人間の脳においても最後に発達してくるのは前頭葉です。現在はもちろん行われておりませんが、かつて暴力的な行動を取る精神病患者の治療として、前頭葉を取り除く手術が行われておりました。人は前頭葉が無くとも生物学的な日常生活には支障を来たしませんが、感動表情の無いロボットのような人になることが知られております。少し古い映画ですが、1975年のアカデミー賞をもらった「カッコーの巣の上で(one flew over cuckoo’s nest)」の、エネルギーに溢れた感情豊かな主人公が、この手術をされた後にマスクのような無表情の顔に変わったことを鮮明に記憶しています。 
 このように人間の脳機能の中で、前頭葉が心を表現する中心的な働きをしていることを図8—1に示します。まず、目や耳から入った感覚としての情報が、後頭葉や側頭葉で赤いもの、丸いもの等と情報が分析されます。その感覚的情報とこれまでに貯えられてきた記憶という情報が照らし合わされ、それが何であるのか、この場合は丸くて赤いもので、さらに良い匂いがすることなどから「りんご」と判断されます。そのレベルであれば、それは「食べられる物である」と言う動物のレベルにすぎませんが、その情報がさらに前頭葉において、より高度な総合判断のプロセスを受けます。私達も当然のことながら、「りんご」という情報から、さまざまな思いが広がることを経験するでしょう。例えば、私の場合は、りんごが名産の福島で生まれ育ちましたので、故郷と母親という懐かしさを超えた言い知れない思いが広がって行きます。さらにりんごから、島崎藤村の「優しく白き手を伸べて、りんごを我に与えしは、薄紅の秋の実に,人恋いそめし始めなり」で始まる「初恋」という詩歌を思い出し、恋人を想う懐かしい気持ちや、その人と会えなくなってしまった悲しい気持ちなどが次々と表われるのが、脳の高次機能によるものなのです。それが単なる機械やコンピュータのレベルを超えた、人間の人間たる所以の心の深みに広がってゆくのです。
 2003年に大阪を訪れた前米国副大統領のエル・ゴア氏と、心と脳のことに関して1時間ほども話し込む機会がありましたが、彼はわたしの「子どもにあたたかい心を育む」の言葉を受けて、新皮質の中にはコンピュータのように物を記憶したり計算したりする能力の他に、哺乳類として大切な相手を思う心の機能がある、と切り出し面白い話をしました。彼はクリントン大統領時代に、米国全体に高速情報網(IT-highway)を作り上げた中心人物でしたが、「自分の国にとても素晴らしいことをしたと思ったが、情報を生かす為の心の部分を育てるのを忘れてしまった。」と反省しているのです。彼は、その心の部分を「哺乳類の脳」と呼んでいました。哺乳類は母親が子どもに授乳する生き物であり、その時に子どもを抱きかかえる行為によって、母も子どもも自分以外の生き物と共に生きることを学ぶからだ、と述べています。「哺乳類の脳」というのは学問的には正しい用語ではありませんが、それはそれでとてもユニークな核心を突いたコメントと受け取り、もし彼のように「あたたかい心」の分かる人がアメリカ大統領になっていたら世界は違った方向に向かったであろうに、という思いを忘れられません。

2)脳科学の進歩
 人間の体の中で最も複雑で、これまではその研究の手掛かりさえ掴めなかったのが脳でした。過去形で呼ぶのは、近年の科学技術の進歩がようやく脳という未知の世界に光を当てることが出きるようになり、21世紀の医学の最大のテーマは脳と心であると言われるようになりました。
 それらの中で、最も「心と呼ばれる高次脳機能」の研究に寄与しているのが脳画像診断技術で、良く知られているのがコンピュータトモグラプィー(CT)と磁気共鳴画像(MRI)でしょう。CTはX線を多方向から照射して得られる情報をコンピュータ処理して脳を色々な方向の断面で画像を造ります。MRIは、磁場(磁石から磁力線が出ている空間)に生体が曝されると、生体内のある原子核(陽子か中性子が奇数のもの、主に水素)が特定の周波数の電磁波に共鳴して振動することにより受信コイルに信号を送り、それをコンピュータ処理されて画像が造られるのです。
近年は機能的MRI(functional MRI)と呼ばれる新しい方法で、静脈血である還元型ヘモグロビン濃度の変化(実際には、それに伴って動脈血である酸化ヘモグロビン濃度が変化するので、脳血流の変化を反映することになる。)から脳機能そのものを見ることも可能となりました。しかしそれらは、いずれも大掛かりで高価な機械を必要とするばかりでなく、検査を受ける人がある一定時間静止していなければならにこととなどから、新生児や乳幼児にとっては手軽に使用出来るレベルとはなっていません。
 それに対し、超音波断層法や光トポグラプィーによる脳画像診断法は、児に対する侵襲が少ない上に、ベッドサイドで比較的手軽に繰り返し行える利点があります。超音波断層法は、乳幼児は1歳過ぎまで大泉門(頭蓋骨の隙間)が開いているので、そこから超音波を発信し、反射してくる音波を分析して画像をつくります。
 近赤外線分光測定法(NIRS)は、酸化ヘモグロビンと還元ヘモグロビンの近赤外線の吸収スペクトロの違いを利用して、頭皮を介して近赤外線を照射し、反射してくる光を分析して脳内のヘモグロビンの酸化還元状態の変化を見ることによって脳機能を評価する方法です。光トポグラプィーはその近赤外線照射と検出の端子(プローベ)を多数頭部に装着して二次元の脳地図を作るものです。 この方法によって脳のどの部分が今活動しているかが分かるので、物言わない赤ちゃんに音を聴かせたり絵を見せたりして、それを認識するかどうかを知ることが出来ます。日立の小泉英明博士グループはこの方法によって、世界で最初に新生児が母親の声を聞き分けることが出来ることを報告しています。
 また、沢山の神経伝達物質が知られるようになり、それらに関する研究もすすんでおります。特にその中で、高次脳機能に関係して近年最も注目されているのは、セロトニンというアミノ酸です。セロトニン受容体神経細胞は、特にやさしさなどの心の動きに深く関与すると考えられ、動物実験ではセロトニン受容体神経細胞を破壊すると攻撃的となり、セロトニン神経系を強化すると穏やかになることが観察されています。このセロトニン受容体神経細胞は攻撃行動促進回路として知られている扁桃部—視床下部—大脳辺縁系を直接抑制すると共に、前頭前野を介して心を穏やかにする作用しています。もともと前頭前野は心の作用と考えられる高次脳機能の中心ですが、そこにあるセロトニン受容体神経細胞は、脳内各部に攻撃的感情の抑制や情緒の安定の信号を送っていると考えられています。
  生体に加わるストレスが、この心の作用に重要な働きをするセロトニン受容体神経細胞に影響を及ぼす因子として知られています。ストレスが加わるとストレスホルモンとして分泌されるステロイドが、セロトニン受容体神経細胞の機能を低下させるのみならず、その細胞自らのアポトーシス(細胞の自死)を促進させることが動物実験で認められています。 セロトニン受容体神経細胞はさらに、鬱病や外傷後ストレス症候群(PTSD)にも関係しており、睡眠やバイオリズムにも関係しています。ストレスのない規則正しい生活が、セロトニン受容体神経細胞を添活化かすると言われており、やさしい心を育む為には、毎日の生活パターンも大きく影響するようです。

3)赤ちゃんは天才である
 これまで赤ちゃんの脳は、スーパーコンピュターではあるがまだ何もソフトが入っていない状態であり、生後に環境からの刺激に反応して行く過程によって、少しずつ情報が書き込まれて発達してゆくと考えられていました。しかし近年の発達神経学の研究から、赤ちゃんは驚くほどの能力を持って生まれてきており、赤ちゃんの発達のステップの大部分は、すでに出来ている能力が次第に表面に出てくることなのだ、とさえ考えられています。それ故、私達は赤ちゃんを育てるのではなく、赤ちゃんが自ら育つのを見守るか僅かに手を差しだすのだ、と言われています。
 新生児の超能力と呼べるような例を示しましょう。ポーランドの片田舎の方言で、その土地の人にしか分からない微妙な発音の違いのある二つの言葉を、赤ちゃんが聞き分けることの出来るか調べた研究があります。そのテープを聞いた研究者の誰もがその違いが分からなかったので、一度は間違ったテープを送ってきたのではないかと送り返したというエピソードがあるほど、それらは普通の大人にはとても分からない程の、僅かな発音の違う言葉でした。なんと赤ちゃんはその違いをちゃんと聞き分けていたのです。どうして調べたかというと、赤ちゃんにミルクを飲ませ、その飲む(乳首を吸う)力を連続して記録しながら一つの言葉を聞かせ、もう一つの言葉を間に入れるのです。違う言葉が入る毎に、ミルクを飲むスピードや力が変わるので、赤ちゃんは聞き分けていた、と判断できたのです。このように赤ちゃんは、例えば英語のRとLの違いやTHとSの発音の違いなどは英語圏の人並み聞き分けることが出来るのです。それが、日本語を覚えていく過程でその能力を失って行くのです。
 もう一つの例は、知恵の遅れたこどもの中に、ある事に関して天才的な能力を持っている例が知られていることです。「レインマン」という映画で、自閉症の主人公が過去に事故を起こした飛行機を全部覚えていて、どの飛行機に乗るのかで一悶着を起こしたり、カジノで使われたトランプの数字を全部覚えてしまうので大儲けをしたりするエピソードが描かれています。あの主人公と同じように、自分の身の回りのこともよく出来ないほど知恵遅れの人の中に、計算機でも時間がかかるような複雑な計算を何時間も掛けて暗算で計算出きる者、ハドソン川から見たニューヨークの摩天楼が立ち並ぶ風景を写真に撮ったように記憶していてビルの窓の数まで正確に絵に描く者、ピアノ協奏曲のような長い曲も一度聴いただけで性格に覚えてしまう者などが知られおり、サバン症候群(白痴天才)と呼ばれています。その人たちは、天才的な能力を身に着けたというより知恵遅れという事態によって、元々備わっていた記憶や計算能力という脳機能が温存されたのではないかと考えられています。
 これらのことは私達に二つのことを教えてくれます。一つは、神様は人間の赤ちゃんに素晴らしい能力を与えて世に送り出してくれているので、私達は少なくとも子供の時は多くの可能性を持っていたのだ、ということです。もう一つは、後に述べる神経ダーイズムスに共通する考えですが、発達の過程では、ある能力を得ることによってある能力を失ってゆく、ということです。すなわち、ある能力を失うということも、発達には必要なプロセスの一つであるということです。
 子どもの発達は「氏(生まれ)と育ち(環境)」と言われるごとく、DNAに書き込まれた遺伝子情報と育って行く環境の影響で定まります。昆虫のような生き物の発達は、そのほとんどを本能と呼ばれる遺伝子情報によって規制されていますが、人間のような高等な動物においては、遺伝情報に劣らないほど環境の影響も大きいのです。さらに遺伝子情報が発現するためにも環境の因子が大きく影響しているので、遺伝子に秘められた能力を引き出す為には、赤ちゃんへの適切な刺激と、その刺激に遺伝子が反応する時期(感応期)を考慮する必要があります。
 赤ちゃんにとっては、すべての物が目新しいのですから、好奇心の固まりといっても過言ではありません。赤ちゃんは目の前にあるものをジッと見つめますし、音のする方に注意を向けます。しかしすぐ飽きてしまい次の物に興味を示すので、その好奇心を持続させながら適切な刺激を与えることで、赤ちゃんの能力を引き出すことができます。その具体的な方法が「遊びや語りかけ」なのです。赤ちゃんは、まだ意志を伝える方法が乏しく泣くとか拒否のしぐさ程度ですので、その時に出すサインから何をして欲しいのか何をして欲しくないのか、を読み取ることが大切です。それは必ずしも簡単ではありませんが、赤ちゃんをよく見ていれば自然に分かるようになります。
 環境の因子に反応する出生後のある一定の時期を感応期と呼びます。鳥が卵から孵った時に最初に見た動くものを自分の母親と記憶の中に擦り込む擦り込み現象も感応期に関係したものですし、逆に哺乳動物の母親が自分の子どもと絆をつくる感応期も出産後24時間以内であることが知られています。神経系の発達そのものに関与したものとしては、子猫の時期に片目を人為的に縫い合わせて見えないようにしておくと、その片側の視力が失われてしまうことが知られています。人間でも、子どもの時に片目を被ってしまうと視力が低下しまいますので、気をつけなければいけません。この視力に関する感応期は、刺激が与えられないと不要なものと判断されて消えてしまう、次に述べる神経ダーイズムスが関与しているのです。このように出生後のある時に十分な刺激がないと適切な発達を損ねてしまうことは、「三つ子の教え百まで」に共通するもので、子育ての上で重要な事柄になります。

4)神経ダーイズム
 神経細胞(ニューロン)はヒトデのような樹状突起を持っていますが、さらにその先から長くのびている軸索突起が他の神経細胞と神経結合部(シナプス)で繋がり、網の目のような複雑な神経ネットワークを作っています。発達神経学の近代の大発見の一つが、神経ダーイズムと呼ばれる神経細胞の「プログラムされた細胞死(アポトーシス)」と「シナプスの過形成と刈り込み」です。
 「プログラムされた細胞死(アポトーシス)」とは、低酸素や毒素など外からの侵襲による細胞死(ネクローシス)ではなく、細胞の自殺と呼ばれるように細胞自身に組み込まれたプログラムによって細胞が死んで行く現象です。どうしてそんなことが起こるかというと、私達の体は、荒けずりな彫刻がだんだん不要な所を削って姿を整えてゆくのと同様な過程で造られていきます。たとえば手の指は、最初はカエルのように水掻きがあったのが、水掻きの部分の細胞がアポトーシスを起こして消えてゆき指が出来るのです。このように神経細胞は、胎児期から新生児早期に掛けてその数が増加するのですが、その後発達の過程の中で不要な神経細胞がアポトーシスによってその数を減少してゆき、必要なものが残ってゆくのです。
「シナプスの過形成と刈り込み」とは、神経細胞のアポトーシスと同様に過剰に作られたシナプスの中で、必要なものだけが残り不要なものが消失してゆく現象です。例えば人さし指を動かす神経回路は、脳の運動領野から指まで発達して延びてゆくのではなく、最初に沢山の神経回路が出来てから刈り込みという現象で不要のシナプスが消失し、最も効率が良い回路が残るのです。例えば、郊外に新しく出来た団地と駅を結ぶ野原の中の道は、最初はみんなが勝手に歩いて沢山で来ても、やがて一番近くて歩きやすい道をみんなが利用するようになり、それ以外の道がなくなる、と同じように考えられます。
 神経細胞とシナプスの過剰な形成と、その後の不要なものを切り捨てるプロセスは、必要な細胞やシナプスの「選択と生き残り」と考えられるところから、種の選別の自然選択(natural selection)に似ており、神経ダーウイニズムと呼ばれています。なぜそのような無駄ともいえる過程を取るかというと、神経回路は最も複雑なネットワークをつくるところから、最初からキチンとした図面どうり作るとすると、間違って出来てしまった場合、どうしようもなくなってしまいますが、神経ダーウイニズムの方法だと、その場その場で最も利用される回路が残ってゆく幅広さがあります。
 さらに、状況が変わって別の回路の方が良くなった場合でも、後からでもその回路に変わる能力が残っています。例えば、左側頭葉にある言語中枢に障害が生じた時、次第に右側に言語中枢が作られ、失われた言語能力が回復することが知られています。このような能力を可塑性と呼び、発達途中の子どもの脳ほどその能力が高く、脳障害を受けた子どもが奇跡的に回復するメカニズムの一つと考えられています。猿の実験では、親子の猿の片側の大脳皮質を手術的に取り除くと、親猿は恒久的に片麻痺が残るけれども、なんと子猿の方は麻痺が回復してしまいます。このように、小さな子どもほど、可塑性と呼ばれる驚くほどの回復力が知られていますが、その背景には神経ダーイズムのメカニズムが隠されているのです。
 この神経ダーイズムは、乳幼児の神経系の発達に大きな意味を持っており、適切に神経細胞やシナプスが残ったり刈り込まれたりしなければなりません。その為には、遺伝子に組み込まれているプログラムに適切な刺激が加わる必要であります。過剰な刺激は、アポトーシスを促進し、特に前頭前野においては、やさしさに関与するセロトニン受容体を有する細胞が減少してしまうことが知られています。一方、適切な刺激がないと、起こるべき刈り込み現象が十分でなく余分なシナプスが残ってしまうことが、注意欠陥多動症や自閉症の発症に関係しているのではないかと言われています。また発達のどの段階で神経ダーイズムがおこるかのタイミングも大切で、超早期教育と称して小さな子どもに強すぎる刺激を与えることは、プログラムの歯車が狂ってしまい、残るべきものが消え、消えるべきものが残ってしまうことにより、情調障害や学習障害の起因となりうると推測されています。

5)身体と脳とやさしさ
 既に述べてように、新生児といえどもすでに高度の機能が備わっており生まれてからそれらの機能が引き出されるのだ、という事が分ってきました。この赤ちゃんの能力を引き出す刺激は、言葉や視力によるものだけではなく、皮膚を介する刺激や体を動かす刺激も大切なのです。たとえば新生児医療の現場では、タッチケアやカンガルーケアとよばれる赤ちゃんの発達を促す事が行われています。タッチケアとは、皮膚をマッサージしたり軽く圧迫する心地よい刺激を与えることによって、赤ちゃんの情調を豊かにしたり、発育発達にプラスになる効果を期待するものです。カンガルーケアは、お母さんの胸に裸の赤ちゃんを抱きかかえ、ある一定の時間肌と肌を接触させおくものです。とても未熟で無呼吸などが起こっている赤ちゃんが、お母さんと触れ合うことによる皮膚からの刺激によって、逆に呼吸や心拍が安定することが、実際の臨床の現場で観察されています。
 これらのことは、脳から身体への働きかけだけではなく、身体から脳への刺激も大切な役割を果たしていることを意味します。さらにそのようにケアされた赤ちゃんは、長期的に見て心の中枢と言われる前頭葉前野の発達が促され、暖かい心が育まれると言われていますが、それは安らぎが与えられる為と考えられます。このような赤ちゃんが心地よいと言うケアを行い、出来るだけ赤ちゃんに侵襲を加えない新生児看護は、個別的発達促進ケアと呼ばれています。
 21世紀は脳の時代などといわれ、唯脳論のように脳がすべての風潮があります。しかし皮膚運動系や消化器系などは、それ自身で各々小脳に匹敵するほどの神経ネットワークを持っており、脳機能から独立したシステムで機能することが知られています。消化器系はそれのみで、入ってくる食物に応じて情報をやり取りして、見事な程システマチックに消化吸収の仕事をしています。皮膚運動系においても、よく「体で覚える」と言う言葉がありますが、脳で考えることをバイパスしても、かなり高度な判断がなされているのです。
 もちろん脳が全く関与していないとは言いませんが、私たちの身体はすべて脳の支配下にあるのではなく、リハビリなどで皮膚が刺激されたり手足が動かされたりすれば良い気持ちになるように、むしろ逆に脳のほうに命令を送っているのです。運動療法(ムーブメントセラピー)の講習会で、車椅子の障害児が車ごとトランポリンに乗った時の輝くような顔の表情は、遊園地で遊んでいるような喜びと満足感に満ちあふれているものでした。運動による体全体からのシグナルが脳を刺激し、さらに運動するという快感がそれらの情報と混じりあって、前頭葉で高い感性を作り上げ喜びの表現となっていると考えられます。むしろ、知能や運動が障害されている子どものほうが、心の中枢といわれる前頭葉の機能が高まっているのかもしれません。身体を動かす刺激が心に作用して感性を高め、人と人とのコミュニケーションの確立にプラスとなることは、赤ちゃんをゆっくりと揺らしながら話し掛けると、ほとんどの場合、穏やかな表情となり目と目が合うようになることからも明らかです。このように、タッチケアやカンガルーケアと呼ばれる赤ちゃんへの接し方は、身体を通してあたたかい心を育むことであるといえます。

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第9章 子どもにあたたかい心を育む運動とシルクロード

1)3人の先駆者
「子どもにあたたかい心を育む運動」は、すでに30年以上も前から、いずれも子どもに係わる仕事をしていた漫画家の手塚治氏・小児科医の内藤寿七郎博士と・育児用具のアプッリカ株式会社の葛西健蔵会長の3人が始めていたものです。この3人の先達が子どもにあたたかい心を育む運動を始めたきっかけは、各々の分野のこどもの専門家としての鋭い洞察力から、日本の古き良き時代の育児環境が失われつつあることによってもたらされる、子どもの心への影響を心配したから、と考えられます。彼等の懸念は現実となり、30年後の現在の日本の子育ての中で、子どもへの虐待のみならず、やさしさを失った子ども達の虐めや校内暴力などが、日常茶飯事の出来事となってしまいました。
 この3人の先駆者がどのような経緯であたたかい心を育てる運動を始めたかは、朝野富三氏の「愛の目 アトムの目」に詳しいのですが、その中からこの三人の固い絆のエピソードを取り上げてみます。
 育児の神様と言われた内藤寿七郎博士が折に連れ書き溜めてあった珠玉のような育児に関する書物を、世界中の子どもの為に利用されるように、一冊の育児書に纏め上げたのが葛西健蔵氏でした。それが日本を代表する育児書と言われる「育児の原理」であり、現在日本語・英語のみならず中国語にも訳されています。さらに、その本を末期癌の病床で手にして感激して書いた「推薦のことば」が、手塚治虫氏の絶筆となったのです。
 2007年「子どもにあたたかい心を育む運動」の一環として行われている、シルクロードの旅の途中で訪れた西安での歓迎の式典において、挨拶に立った葛西氏は、世界の子どもの幸せを願いながら病を押して中国を訪れ、帰国するなり死の床に伏した僚友手塚氏の名前を、光に照らし出された古い城壁と星空に向かって、3度までも呼びかけました。
 その3人が始めた 「子どもにあたたかい心を育む運動」の講演会に呼んで頂いた折に、私が新生児医療の実践の中で母と子から教えられた「幼い時にあたたかい環境で育てられることが、いかに子どもの心を育む上で重要か」というメッセージと驚くほどに一致したことから、全く何の抵抗もなく自然にその運動に加わるようになり、やがてシルクロードを走りながら世界にそのメッセージを伝える旅に広がったのです。

2) シルクロードランニングジャーニー
 シルクロードは2000年もの昔から、言葉も文化も異なる東と西の人達が、絹(シルク)という貴重な物を介して交流した道(ロード)でした。シルクロードを行き交った人々は、商売の為とはいえ、お互いがお互いを理解し合う努力をしたはずです。「あたたかい心」の原点がお互いを理解することですから、まさにシルクロードは「あたたかい心」にも通じるものを感じるのです。
また現在の日本人の祖先は、中国大陸と東南アジアから渡来したと考えられています。そんな理由で多くの中年の日本人にとっては、シルクロードには自分の故里のような、「はろばろ」としたものを感じる響きがあります。私も10年ほど前、中国政府の招きで西安さらに敦煌を訪れ、僅かながらタカラマカン砂漠を歩きました。流砂という表現そのもののように、一歩毎に細かな砂が水の流れるように崩れてゆくのを眺めながら、ゆっくりと歩いている時に突然「ここが私の生まれ故郷だ。」、という思いが胸を過ったのです。その時以来、いつかこの地を歩きたい、という思いが私の夢の一つとなりました。それが、この シルクロードランニングジャーニーの伏線になっています。
 2002年の12月、たまたま講演を頼まれてハワイに来ていた私は、ワイキキ通りでホノルルマラソンを走り終えたばかりの葛西得男アップリカ社長とバッタリ出会いました。奇遇なことと最寄りのバーでビールを飲みながらのよもやま話しとなり、自然に話題がホノルルマラソンからシルクロードを走ることまで広がったのです。当然「こどもにあたたかい心を育む」運動の一環としてシルクロードランニングジャーニーが企画されるまでには、いくつかの紆余曲折がありましたが、最終決定が出たのは、四国お遍路の半分に当たる43寺を巡る700kmのランニングジャーニーが成功裡に終わった2003年5月でした。それは、私個人が毎日40km以上の距離を17日間続けて走りきったことも然ることながら、どのように長期間のランニングをサポートするかのノウハウが型造られ、また実際にこの企画に関わる方々が、シルクロードランニングジャーニーの意義に理解を示してくれたことによるものでした。
このような経緯で、「あたたかい心を育む運動」の重要性を人々に伝える目的で、ローマから奈良までの18、000kmのシルクロードランニングジャーニーが企画され、第一ステージはバチカンからイスタンブールまで2500kmのランニングジャーニーとなったのです。
 確かに最初は、私の個人的な夢である「シルクロードを走る事」の理由付けのように、「こどもにあたたかい心を育む」運動が結びついたのですが、結局はそれを越えるものとなりました。ローマからイスタンブールまで講演を続けながら走って行く中で、「こどもにあたたかい心を育む」事の重要性を人々に語る毎に、自分自身が自分の言葉に触発され、「これこそ私の仕事だ。」と思うようになったのです。特にクロアチアでは、私の話がテレビや新聞が取り上げてくれた事もあって、冷たい雨が振っているにもかかわらず、たくさんの小さな子どもからお年寄りまでが、私達を待ち構えて手を振ってくれました。まだ生々しい銃弾の跡が壁に残った家々が立ち並ぶこの国では、私達の「こどもにあたたかい心を育む」運動の言葉が、平和を切望する気持ちに共鳴して心に響いたのです。走る事は、その大切なメッセージを伝える手段であって目的ではなくなりました。ですから私はこのシルクロードの旅は、最初の思惑とは逆に、「こどもにあたたかい心を育む」事の重要性を人々に伝えるために走った、と考えるようになったのです。

3)子どもにあたたかい心を育むための旅 
 シルクロードランイングジャーニーに出かける前は、一時間8キロで35キロ走るのだから5時間程で終わるので、午後は原稿書き等の仕事ができる等と考えていたのが、幻想であったことを身に染みて感じました。その理由は当然のことで、歩く倍ほどの速度といっても長い距離を、それも連日となると別の世界になります。朝起きると、丸太のように凝り固まっている体を揉みほぐしながら、「今日は走れるだろうか。」と不安が心を過る毎日で、なんと胃潰瘍の薬を飲んではしっていました。トレーナーのS氏が「ウルトラマラソンの成功の鍵は心肺機能や筋力ではなく、内臓機能と精神力である」と言っていましたが、それに加えて、なぜ走るのか、の意義を考えなければとても走れませんでした。それは還暦を過ぎた初老の男が、自分の力のギリギリの行程を一生懸命走ることによって、人々は,どうしてそんなことをするのだろう、という思いから、私の大切なメッセージである「子どもにあたたかい心を育むことの重要性」を聞いてくれるからなのです。
 幸いにも私は、苦しいから辛いからと、走るのを止めようと思った事は一度もありませんでした。走る目的を達するためには、這ってでもゴールするという気概が最も大切である、と思っていました。しかしそれ以上に、私の気持ちを理解してサポートしてくれた素晴らしい仲間がいたからなのです。サポートとは道案内や水を供給する役目だけでなく、ランナーが何を考えているかまで察知してサポートするレベルになって本物なのです。このようにサポーターが、「相手が辛いのか苦しいのか」と思う心は、まさに「あたたかい心」そのもと言えます。このランニングジャーニーの収穫の一つが、私を伴走してくれた人々から「サポートは心である。」ということを学んだことです。
 私のランニングのスピードは時速8kmと歩く速度の倍程度で、見た目にはゆっくりですが、走るからこそ見えるものがたくさんあります。ユトリロの絵のように真直ぐな並木道を走って行くと、やがて霞のような彼方から家並みが現れ、一歩毎に人々の生活の匂いが感じられるようになってきます。雨にもかかわらず私達に手を振ってくれる為に、家の庭先で立っていた三世代のおばあさんから小さな子どもまでの心に染みるような笑みに、思わず走り余って手を握り合いました。私がそのすぐ側を歩くより少し早い程の速度で通り過ぎるからこそ、見えるだけでなく肌にさえその存在を感じることが出来たのです。
走って旅する事が飛行機や汽車などの旅と異なる事は、ゆっくりと連続する移り変わりが見えることです。クロアチアの戦火の傷跡が残る家々の壁を眺めながら走る間に、やがてその傷跡の銃弾を打ち込んだセルビアに入ると、セルビアでは街の中のビルにNATO軍によるおぞましい空爆の跡が残っている光景が目に入ります。同じ言葉を話しほぼ同じ民族であるのに、異なった国家となった故の争いの歴史が、現実の物語のように私に語りかけてきます。
 走って国境を超える毎に感じるのは、国が変わったからといって、山の緑も河の流れも風の音も変わらないのみならず、人々の顔も身なりもあまり変わらないのです。勿論何日も走っていると、ようやく各々の国の違いが分かるようになってくるのですが、その変化は走るからこそ徐々に感じられるのです。各々の国は異なっているが、その変化は国々で重複し民族の間で混じり合っているのです。そのような最初の連続とやがて異なってくる不連続は、走る事によってはじめて認識されるのです。
 走るからこそ、行く先々で人々の生活の息吹に触れ、心に感じ取る事ができる旅となりました。

4)法皇様の「ありがとう」
 ローマを出発する前日に、バチカンでローマ法皇ヨハネ・パウロ2世に拝謁する幸運を得て、壮大なセントピーター寺院で行われた荘厳なミサの後に、法皇の前に額づいて祝福を受けました。私は震える声で「法皇様、お元気でおられますように」と英語で申し上げますと、法皇様はハッキリと日本語で「ありがとう」とお答えになられました。驚いてお顔を見上げると、高齢な法皇様は赤ちゃんのように深く澄み切った瞳で微笑んでおられました。法皇様が語学の天才で何カ国もの言葉を話される事は聞いておりました。しかし日本を訪れた事があったとはいえ、謁見者に日本語でお答えするとは予想しませんでした。接吻したその御手は氷のように冷たかったのですが、その相手を思うお言葉の温かさに心が震えました。
 私は新生児医療に30数年携わり、万を超える赤ちゃんを見てきましたので、新生児の顔はその純粋無垢の瞳ゆえに、悟りを開いた人や神に近い人の顔であると言われる事が良く理解できます。残念ながら多くの人は、長い人生の中でその素晴らしい瞳の輝きを失ってゆくのですが、法皇様は80歳を越える高齢になられながらその赤ちゃんの瞳の輝きを保ち続けられた数少ないお方なのであると思いました。
 法皇様は、1981年に日本を訪問されたことがあります。その時に法皇様をご案内したのが、当時上智大学の学長をされていたピタオ大司教様でした。法皇様はどうしても日本訪問の際には広島の原爆ドームを訪れてミサをしたい、それも日本人の為にミサをするのであるから日本語でミサをしたい、という強いご希望があられました。法皇様は、聖書の「はじめに言葉ありき」に示されている如く、言葉の持つ精神的な力を大切に思われておられ、単に日本語の音だけをまねるのではなく、その言葉がどんな意味を持っているのかを理解して、心を込めた日本語のミサをなさるというお心で、なんと僅か時間のミサのためだけに、3ヶ月以上もピタオ様から日本語を学んだのです。その結果、法皇様のミサを聴いていた護衛のSPが、その言葉に打たれて涙を流しました。さらに、それを見て法皇様のミサに耳を傾けた多くの日本人が、同様に涙を流したのです。言葉を介して、というよりは言葉を越えて、心が心に響きあったのです。相手の心が分かることこそ、まさに「あたたかい心」の現われと言えましょう。ヨハネ2世はやがて聖人の位に推挙されるだろうと言われていますが、その為にヨハネ2世が存命中に為された奇蹟の記録が検討されていると聞きます。まさに広島でのヨハネ2世のミサが日本人に涙をもたらしたことは、奇蹟に匹敵するのではないでしょうか。
 ランニングジャーニーは、赤ちゃんの瞳の美しさから学んだ子どもにやさしさを与える重要性を、多くの人々に伝えなければないという思いに駆られて始まりました。そのスタートにおいて、やさしさの象徴のような法皇様の瞳を真近に見ることが出来たことは、私にとって運命的な出会いに思えました。

5)ストリートチルドレンの「I love you.」
「子どもにあたたかい心を育む」ランニングジャーニーの第一ステージのゴールとなるイスタンブールから少し離れた小さな町で、私は忘れ難い素晴らしい思い出を持つことができました。その町の役所で孤児をサポートするNGOが企画したイベントに出席した時のことです。セレモニーとして孤児代表から花束を受け取った後に沢山の子供達に囲まれ、お菓子を渡しながら、みんながあたたかい心を持つことが世界平和につながることを話しました。その子供達は近くの小学校からそのセレモニーの為に動員されて来たようで、身なりもきちんとおり、とても孤児とは思えませんでした。みんな明るく好印象の子供達で、私達を取り囲んで身ぶり手ぶりを交えた片言の英語で話し掛けてきました。
 みんなとの交流も終わり帰り支度をしている時でした。汚れた顔と服装から明らかにストリートチルドレンと思われる10歳程の2人の男の子が、物珍し気に私達の車に近寄って来たのです。一人は明らかに知的障害がある子でしたが、物乞い等ではなく、ただ私達が東洋人で物珍しかったからのようでした。私が知的障害の子に、たまたま1個だけ残っていた飴をあげると、飴の紙を巧みに草笛のようにピーと吹いて喜んでいました。家内が1本だけ残っていたカーネーションをもう1人の子にあげると、彼は二股になっていたカーネーションの花を二つに裂き分けて、その一つを私に差し出したのです。彼の友だちに私が飴を上げたお礼のつもりだったのでしょうか。私がもらったその花を知的障害の子に渡すと、彼は手でハートの形を作って、英語で「I love you.」と言って私の首に軽く抱きついてきたのです。知恵の遅れている子どもであり、ましてやトルコ人の子どもから英語の言葉が発せられたので、もしかして聞き違いではないかと思いましたが、そばの家内の目に涙が浮かんでいたので、間違いなく彼女もその言葉を聞いていたのでした。私も彼を抱き返し、背中を軽くポンポンと叩きながら、お互いに何を伝えたいのか十分に理解し合えたと感じました。車が出発するまでの間、二人の少年の微笑みながら私達を見つめていた、キラキラ輝く美しい瞳が忘れられません。
 子どもの心を育むのは、きれいな家や着物ではなく、彼等を取り巻く人々の心であることを示してくれた出来事でした。あの二人の男の子は、きっとこの土地の人達にやさしくされているに違いないと思いました。このことをトルコ人のガイドに話すと、「そうでしょう、トルコの人はみんな子どもを大切にしますから。」と、当然ですよと言わんばかりに答えたのです。それは、この旅で私達の最も伝えたいメッセージを具象化したようなエピソードであり、忘れられない思い出となりました。

6)テロをなくするために
 ローマからの旅の最期の講演は、イスタンブールの医師会の集まりでした。私の講演の後に、テロの兇弾に倒れたトルコの女性医師を記念した賞の授与式が行われたところから、その受賞者となるパレスチナ大使も私の「あたたかい心を育む」講演の聴衆に加わってくれました。その後の質疑応答で大使が立ち上がり、「素晴らしい講演で感銘したが、私達の周りには生まれつき血を見ることが好きな人がいるようだ。そのことをどう考えるか。」と質問しました。パレスチナとイスラエル間の骨肉の争いの歴史を知る者にとっては、出るべきして出た質問と思いましたが、私は次ぎのような二つのコメントでそれに答えたのです。
 神は人間をあらゆる生き物の最期に神のレプリカとしてお造りになった、と言われております。その言葉どうり、新生児を30数年見ている私にとって、赤ちゃんがその純粋無垢の瞳に加え、近年の脳科学の進歩で我々の想像を超えた能力を秘めていること明らかにされつつあるところから、神に近い存在として生まれて来たと確信しています、そのような「人間の赤ちゃん」を、やさしさをもって育めば、血を見るのが好きな人になるわけはないはずです、と答えました。また、浄土宗の開祖である法然は、敵に襲われて死の床にあった父から、「相手を憎んではいけない。憎めば自分も憎まれ、同じ立場になる。」と諭され、仏の道に入ったという故事を取り上げ、憎しみの連鎖を断つべきである、と考えてそれを実行した人間が、700年以上前におられた事実をもって答としました。
 戦争も悪であるが、その背景には国土や覇権の争いがあります。しかしテロには、それらを超えた個人的な憎しみが関与し、憎しみが憎しみを呼ぶ連鎖反応が起こり、核爆発のように世界の破滅につながるのです。テロを防ぐには、あたたかい心によって、その憎しみの連鎖を断ち切らなければなりません。このような私の答えに、パレスチナ大使が大きくうなずいて賛意を示してくれたことは、ローマからイスタンブールまで2500kmの旅の締めくくりとして、最も忘れ難いエピソードトなりました。

7) ソムリエの妻の言葉

 帰国して間もなく入手した加藤周一の「夕陽妄語VII」の中に、「ソムリエの妻」という題で、次ぎのような内容が載っていました。2001年9月11日のニューヨーク国際貿易センターのテロの犠牲となった、最上階レストランで働いていていたソムリエの残された若い妻が、「死んだ夫は、復讐とか報復ということを必ず拒否するでしょう。その死をさかさまにして、他の人の血を流してはいけません。夫は話し合いが暴力より実り多いものと信じていました。」と語ったことに対し、加藤周一は、「ソムリエの若い妻が、犯人に憎悪を抱くのは当然であろう。しかし彼女の精神はその憎悪の気持ちを超え、暴力的報復より問題を解決する手段としての話し合いを選んだ。そこには人間精神の高貴さがある。そこには自爆を辞さないテロリスト達の(見せ掛けの)勇気を超える(真の)勇気がある。報復を叫び星条旗を振る群集と、それを鼓舞する指導者に対して、今は亡き夫の信念を貫こうとする若い妻のひるまない美しい魂がある」とコメントしているのです。
 テロで愛する人を失った「ソムリエの妻」の言葉もさることながら、それを鋭く受け止める加藤周一の感性は相手に対する深い思いやりに根ざしたものであり、人間が人間でありうるために必要な心なのです。このような言葉に無条件に共鳴出来るようになったことは、私自身の中でも、これまで以上に、「あたたかい心」に対する感受性が高まったことであり、シルクロードの旅の素晴らしい収穫であると感謝しているのです。

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第10章 家族という名の砦

1) 家族という孤独
 子育てに関して個人的なことを書くことには、かなり逡巡しましたが、清水の舞台から飛び降りるような気持ちで、この章を追加することにしました。その理由は、「あたたかい心・あたたかい心とお題目のように唱えたところで具体的にはどうするのだ。絵に書いた餅に過ぎないのではないか。」と何度となく言われたことに関連しています。真っ当な質問のように響きます。しかし良く考えてみれば、「こうしなさい、ああしなさい。」と言われて、あたたかい心が育まれるものではないのです。毎日の生活の中で自ずから経験し感じる間に、自然に育まれていくものではないでしょうか。
 そんな時に大学時代の学友であった斉藤学の「家族という孤独」というタイトルの本を手にしました。それは、現在の日本の多くの家庭においては、家族同士の心がバラバラになっており、ただ同居しているだけである、という現状を分析した上で、家族と言うものは本来そんな要素を持っているのだ、という論調になっているのです。確かに私の身の回りでさえも、多くの人々が家族という心の絆が切れ、人間が共に生きる上で最も大切な生活単位である家庭が崩壊しかけているのを目にします。現実なのでしょうが、それを読んで私の心は寒々と冷え、「そんなことがあってはならない。家族こそ心の安らぎであり、家庭こそ身を寄せあう砦である。」と大声で叫びたくなったのです。
 最初にあたたかい心を育む場所は家庭ですし、最初に「あたたかい心」の実践は家族の間においてです。 それには理屈はいらないはずです。家族とは本来寄り添って生きるものであり、その寄添って生きている姿こそが、人が人間であることを確認する基本単位なのですから、家庭が崩壊した社会に「あたたかい心」が育つはずがありません。私の家族が「あたたかい心」をもっているとか、私の家庭は「あたたかい心」の実践の場である、などという気持ちは更々ありませんが、ごく普通に親と子の会話を続けてきた家族の一例と受け取っていただければ、それでお前はどうしているのだ、という質問への、なんらかの答えになるのではないかと考えました。

2)家族と家庭

 私の一番の自慢は我が家族です。勿論、家族の中に世に出た有名人や、人も羨む才能を持っている者がいるからではありません。むしろ、最も平凡な経歴と能力を持ち、最も平凡な生き方をしている家族です。なぜ手前味噌のように私が自慢出来るかといえば、これまで65年の人生の中で出合ってきた数多くの人々と比べても、私の家族のそれぞれが、少なくとも人並みのあたたかい心を持っていると思っているからです。
 こんなエピソードがありました。私は毎年の年賀状に子どもの近況も書き加えることにしています。それは家族ぐるみで付き合っている方々が沢山いるので、年頭の挨拶は家族の近況を知らせる、年に一度の良い機会であると考えているからです。
 ある時、顔見知りの厚生省の高級官僚の一人が多少皮肉まじりに、「みんなへの手紙に、息子さんの職業を郵便配達と書くとは、先生は凄いですね。」と話し掛けてきました。周りの人達の話題が、誰々の子どもが東大の法学部に入ったとか医者になった、という中で、彼にとっては私の手紙の内容は奇異に響くのでしょうか。典型的な俗人の役人タイプでしたから、そんな彼のお節介は「さもありなん」と気にしないつもりでしたが、それでも多少の不快感をおぼえました。
 ところが、たまたま長男の誕生日の食事の時に、問わず語りにそのことを話すと、長女が次の日に長男のテーブルの上に、「Kenji the Mailman. あなたの仕事は素晴らしい。あなたの届ける便りが、愛の告白かもしれないし、永年の夢の成就である大学への合格通知かもしれないのです。」と書いたバースデイカードを置いておいたのです。二人の会話は、「Kenjiの仕事は凄いよね。その人はそれを知らないんだ」「まあね」と、私が話したあの役人の言葉の毒など全く眼中になく、側で聞いているだけでも、爽やかさが感じられるやり取りでした。
なぜ二人の会話が、彼をなじる言葉が全く無く、爽やかに響いたのでしょうか。それは二人が、極自然にお互いを受け入れ認め合っているからだと思いました。私は、二人の会話を聞いていて、その役人に少しながら嫌悪感を持った自分を恥ずかしく思いました。堅苦しい理屈を抜きに、共に相手を思いながら生きている。その一人一人が私達の家庭を作っていることを、改めて幸せに思ったのです。

 家庭とは、それを構成する家族の人間的なつながりで形成される、社会という名の大きな共同生活体の中の、最も根源的な基本単位であります。人間的とは、単に肉親という血の繋がりだけでなく、お互いに信頼し合い愛しあうことを基盤に、共に助け合い守り合うという意味です。家柄や家系といった歴史や伝統を守る為の家、という概念の大切さを十分考慮しても、現代社会のほとんどの家庭においては、家族という人間どうしの繋がりが最も重要でありましょう。それゆえ、家族はこの世の中で運命を共にする最も大切な仲間であり、家庭は社会の荒波から家族を守る最後の砦のはずです。
 その家庭が崩壊し家族がバラバラとなり、一人一人が世の寒空の中で、裸のまま寒風にさらされるような情景が目に浮かぶような出来事が、毎日のようにメヂィアから流れています。幸せの基本は幸せな家庭です。幸せな家庭とは、心の絆を持った家族がいることです。心の絆を造るのは、各々のあたたかい心です。あたたかい家庭を造る根源は、この本のテーマそのものである、「子どもの時にあたたかい心を育む」ことなのです。

3)夫婦の心の絆

 私の家内は、種々の事情があって中学で学業を止めなければなりませんでしたので、蘊蓄を傾けて知識を披露するということとは無縁な生活をしております。しかし実を言うと、のろけ話のようにとられてしまうかもしれませんが、知識とは次元の違う人生の知恵ということに関しては、一応人に物を教える大学教授と呼ばれる職にある私を凌駕していると、常々感心しています。
 それ以上に、私と4人の子ども達の絶大なる信頼を得ているのは、その知恵に加えて、私達全員が何を考えているのかを不思議な能力で察知し、可能な限りそれに答えて、あたたかい心で我々を包んでいるからです。例えば私が仕事上の問題などを考えながら家に帰って来ると、さりげなく「どうしたの?」と聞くのです。それほど悩んだり落ち込んだりするタイプではないはずなのに、いつも不思議に思っています。「なぜ分かる?」の問いには、ただ一言「夫婦だから」です。私は根が単純で、直ぐ喜怒哀楽を顔に出し易いのでしょうが、やはり家内は、感が良いというより、相手を思いやる心が強いからと思っています。
 家族のスタートは夫婦からであり、家庭の核となるのも夫婦のはずです。血の繋がりのない二人が、人生を共に歩むことになる切っ掛けは様々でしょうが、共に歩むことが出来る為には、二人の信頼が不可欠です。私は、親子よりも兄弟よりも、ましてや恩師や上司よりも、真の夫婦の繋がりは強いものであると信じています。言葉を代えれば、心のつながりが無ければ夫婦は存続しないのです。尾籠な話で恐縮ですが、病に伏せて下の物まで含めた介護を依頼出来るのは、何をおいても永年苦楽を共にした伴侶でありましょう。赤の他人であった二人が、親子にも勝る信頼関係を作り上げた理由は、永年の相手を思うあたたかい心の交流により、理屈を越えた心の絆が結ばれるからなのです。
 このような一心同体のような夫婦、すなわち両親の姿を見て育った子どもは、相手の心を自分の心に投影させる生き方の素晴らしさを、無言の内に学ぶでしょう。幸いにも私達の四人の子ども達が、曲がりなりにも心のやさしい子どもに育ってくれたのは、私達が巧まずして、子ども達にお互いを信頼し合う姿を示したからと思っています。
 私は、結婚式で祝辞を述べなければならない時には、必ず夫婦間の通い合う心を象徴する、次のような石川啄木の歌を献じることにしています。その歌には単に夫婦仲だけでなく、人が共に生きる上で最も大切な、寄り添う心がそこにあるからです。

    友がみな、我より偉く見ゆる日よ
    花を買いきて
    妻としたしむ

4)親と子の心の絆

 母親と子どもの心の絆は、子育てそのものの中で自ずから型造られてゆくものである、とこれまで述べてきました。母性に目覚めた母からの子どもへの思いの強さは、我が身を捨てて子を守る、多くの母親の物語からも良く知られています。その母から子どもへの思いに触発される子どもからの母親への心の絆の強さも、「おかあさん」と叫んで死地に向かう若き兵士の言葉からも明らかです。
しかしながら、一般的に親子の心の絆とは、夫婦の絆が強まってゆくものであるのとは反対に、段々と離れてゆくものなのです。それは子どもが成人となるに従い、親とは異なった価値観を持つようになるからです。また、子どもも親になり、自分の子どもとの新たな親子の関係が、自分の親との関係より身近なものとなるからです。
 大江健三郎は、「親子の絆が、子どもが成長してからもピンと張っていると、お互いに行動が制限されて窮屈になるので、子どもが成長するにしたがって、ある緩やかさをもった絆が必要である。そのゆるやかさとは、ザイルをつないで岩山を登るアルピニストのように、何時もはある程度の弛みを持っているが、いざとなった時にピンと張るようなものである」と言っています。第2章でも触れたように、大江健三郎には光さんという障害を持った息子が居るところから、彼を何時もサポートしなければならないので、ある緊張感を保った親子の絆のままである、と言っています。このことは、100%受け身である乳幼児と保護者との間には、光さんと大江健三郎のような、ある緊張感を持った絆が必要であることを意味すると理解されます。その緊張感には、か弱い幼子を守らなければならないという、生物学的な親としての感覚に加え、父親の場合は家長という社会的な立場としての認識が加わります。勿論、生物学的とか社会的とかいう冷たい言葉の影には、理屈を超えて愛する家族を守るという親子のあたたかい心に裏打ちされた絆が無ければなりません。
 父親と子どもの心の絆に関しては、父性という言葉があるように、母親に類似した部分があることが知られています。しかし父親の絆は、児が生まれる前から絆の形成が始まる母性とは本質的に異なったものであり、父親が子どもと心の絆を作り上げてゆくのには、毎日の生活の中で、それなりの思いを持った努力が必要と考えられます。それには、こうすれば良いという具体的な事があるわけではなく、相手を信頼し続ける以外の方法を私は知りません。千差万別の親子関係がある中で、わずかな個人的な父親としての経験が、どれほど役に立つかは別として、あえて私と子ども達の例を次の幾つかの項でお示しいたします。

5) 娘との約束
 それは年の初めの我が家の年中行事になっている、元日参りの時のことでした。お参りを終えて駐車場に戻ると、全身の毛が抜けてしまった明らかに病気の、弱り切った一匹のビ−グル犬が、何故か私達の車のタイヤに凭(もた)れ掛かりながら、辛うじてその体を支えていたのです。私たちに向けられた、その哀願するような眼差しに、長女が思わず駆け寄って手を差し出そうとしました。
 私自身も、ビーグル犬特有の悲しみを一身にまとったような雰囲気に、何かをしてやりたいと思っていました。彼女がその犬を抱き上げようとした時に、気丈夫な家内がキッパリと彼女に、「家にはタロウがいるのに、他の犬はもう飼えないことは知っているでしょう。それに、もうすぐ死んでしまうような犬を連れていってはいけません」と言ったのです。家内の剣幕に、その場に立ち竦んだ長女は、助けを求めるように私を見ました。私自身も、沢山駐車している中で、その犬が私たちの車に寄り添っていた事は何かの因縁のように思われ、たとえその犬がもう間もなく亡くなるとしても、私達で葬ってやっても良いかな、と一瞬考えました。事実、もし長女が一言でも私達に嘆願するような言葉を言ったならば、私から家内を説得したかもしれません。しかし長女自身も、その犬を連れて帰ることは出来ないことを直ぐに理解し、黙って犬を車から離して、他の車の轍に踏まれないようにと駐車場の端まで抱いて行き、ソット柔らかい草の上に寝かせました。
元日であり動物病院はどこも開いていないでしょうし、私達は何人かの親族の方々と一緒であり、そこからみんなで食事に行く予定になっていたのです。そんなことを考えれば、家内の言う事は決して冷たい判断ではなく、誰の目にも当然のことと思われました。
 帰りの車の中で、長女はジッと下を向いて泣いていました。あの可哀そうな犬に何もしてやれなかったという、彼女の悲しみとやるせない思いが、私にも伝わってくるようでした。私は、誰もが触るのも嫌がるほどにボロボロになっている、病気の犬に向けた彼女のあたたかい心に打たれ、「あの犬のことを一生忘れないことを、お父さんと約束しよう。そうすれば、あの犬はみんなに見捨てられたのではなく、この世の中に少なくとも私達二人だけでも思ってくれている人がいる、ということだからね」と言いました。彼女はそれで少し気を取り直したようでした。
 それから時々思い出したように、長女に「二人の約束覚えている?」と聞くと、彼女はにっこりと微笑んで「覚えてるわ。お父さんとの秘密の約束だから」と答えていました。あれから20年以上経ちましたが、まだ私達の約束は続いているのです。生き物を可哀想と思い続けるあたたかい心が取り持った、父親と娘の小さな秘密のような約束が、二人だけの心を通い合わせる魔法の鍵になっているのです。

    (6)娘からのラブレター

次女は、打てば響くような高い感性が素晴らしい、と親ながら評価していました。その期待どうり、自分の名前を付けた音楽バンドを作ったり、テニス部のキャプテンをしたりと、とても活発な子でした。4人の子供は各々その能力に差があり、また個性があるのは当然でしたので、少なくとも父親としては、みんな違って素晴らしいと、分け隔てなく育てていたつもりでした。
高校生の時、彼女があるグループサンズの所謂「おっかけ」をしていることを厳しく叱ったことがきっかけで、私とは口も聞かない、目も合わせないという最悪の関係になりました。考えてみれば、若い女の子が人気のグループサンズに憧れるのは当たり前の現象で、特に目くじらを立てることのほども無かったのです。若者の音楽そのものが解らない上に、その舞台での振る舞いさえ見るに耐えないと思っていた私には、それが将来的に彼女の情緒的発達にマイナスになると考えたのでした。彼女にとっては、たとえ親から子どもへの忠告であったとしても、好きな音楽なのにそれを止めろというのは理不尽なものである、と取られて不思議はありませんでした。
 小児科の医師であるのに、若者と呼ばれる年齢になった者の感性を理解しないで、なんという稚拙な行動に及んでしまったのかと、反省しきりでしたが、後の祭りです。なんとか彼女の心を開こうと思っても、なかなか接点が掴めませんでした。どうしたら良いか思案投げ首の毎日で、なんと自分が専門家なのも忘れて、ベテランの病棟クラークさんと雑談中に、おもわず問わず語りに「娘に嫌われちゃったよ」と、救いを求めるように話してしまった。「私の主人と娘も同じようなことがあったけど、自然にまたワイワイするようなったわ。時間の問題よ。その内そんなこと忘れてしまうわ」と、あっさり答えが戻ってきましたが、忘れてしまうと言っても次女は癇の強い子だからそう簡単にはいかないだろう、と思っていました。
 そんな時に、たまたま自室の机の前に貼ってあった北海道の美瑛の写真が眼に留まりました。それは学会の途中で寄り道した時に、評判に違わない美しい景色に心を打たれ、珍しく自分のお土産として買い求めてきたものです。その写真は単に花のパッチワークと呼ばれるように、色取り取りの花の模様が美しいだけでなく、写真の枠を超えた北海道特有の無限の広がりを感じさせ、人に不思議な安らぎを与えるものでした。この自然の美しさには人の心に語りかける何かがある、と直感的に思ったことから、美瑛のあの雄大な景色の四季折々の変化を写真に切り取った絵葉書を沢山取り寄せ、彼女にラブレターのような短いポエチックな文章を書いて送り続けることにしました。しばらくの間は、私の心を込めた絵葉書はゴミ箱に捨てられていましたが、必ず心は通じるという願いを込めて毎日書き続けました。
 1ヶ月近くたって、沢山買ったはずの絵葉書も心細くなってきた頃、家内と他の子ども達がテレビのクイズ番組を見ながら、その回答をあれこれ予想する会話に、私も極自然に加わったことがキッカケで、お互いに言葉を交わすようになり、それからは嘘のように以前と同じように冗談を言い合う親子に戻ったのです。あの美瑛の心に触れるような美しい景色の絵葉書が、何かをしてくれるのではないかと、祈るような気持ちで書き続けた、私の絵葉書作戦が功を奏したのではなく、病棟のクラークさんが言ったように、時という妙薬が解決してくれたのかもしれません。
しかし、このエピソードによって小児科医である私が、親が子どもを信用し続ける事の重要性を、身をもって学んだのです。当たり前のようですが、親が子どもに信用される為には、親が子どもを信用しなければならないことを、私たちは忘れがちなのです。
 後日談ですが、シルクロード・ランニングジャーニーのスタート地点であるローマに向かう飛行機の中で読んだ次女からの手紙の中に、その事に触れているくだりがあり、思わず涙ぐんでしまいました。そこには、私からのあの絵葉書は大切にとってあり、母親となった今、自分を思ってくれる親がいることの意味を知った、と書いてあったのです。子どもにあたたかい心を育む事をみんなに話しながら、自分の子育てはどうであったのか不安でしたが、娘からの手紙を読んで、曲がりなりにも大きくは間違っていなかったことを確信ました。この娘からのラブレターともいえる手紙が、わたしの「子どもにあたたかい心を育む」メッセージを伝えるシルクロードの旅を、心から支えてくれる素晴らしい贈り物となったのです。

7) 爽やかな敗者
その日は、たまたま久しぶりに早く帰宅できたので、子ども達とのにぎやかな夕食に加わることが出来ました。一番お調子者でみんなを笑わせる末っ子の次男が、なんとなくおとなしい様子に見えました。余り気にしてはいませんでしたが、食後に家内とお茶を飲んでいる時に、「珍しく彼がおとなしかったね、学校でなにかあったのかな」、と新聞を読みながら独り言のように言うと、家内が「部活で何かあったみたい」と答えました。
 次男は、兄と一緒に小さい時から近くの道場に通って剣道をしていたところから、中学からは部活に入り、剣道が生活の最も重要な部分となる毎日でした。高校に入ってからは一年生から選手に選ばれ、地方レベルながら幾つかの大会で活躍していました。一途にのめり込む性格で、学業が心配になるほど剣道に打ち込み、その真摯な態度は担当の教師が信頼を置いていただけでなく、多くの部員からも慕われていました。そんなことから、彼が3年生となった時に新しい年度の剣道部の主将に選ばれるものと、彼だけでなく担当教官や殆んどの部員達も思っていたようです。
 次年度の役員を決める朝の集会は、たまたまクラブ監督の教師が急の出張で出られなかったので、現主将がその責任者として司会進行を勤めました。現主将自身も次男を高く買っていたので、誰もがスムーズに次期部長は彼になると思っていました。現主将が恒例に従って、次期の主将の選挙をするが誰か立候補はいないか、と問い掛けをしましたが、次男は若い高校生の常として、自分から言い出すのが不自然な様な気がして、誰かが自分を推薦してくれるのを持っていました。しかし、彼にとって思わぬ方向に向かい、練習がきつ過ぎるからもっと楽しいクラブにしたい、というグループのリーダーが手を挙げたのです。次男は、自分たちの真面目な練習態度を揶揄するような者が主将になることは、剣道そのものを冒涜するようなものだと思いから、意を決して自分も手を挙げたのですが、一呼吸遅れてしまいました。若い高校生達の仲間同士の挙手による選挙ですので、始めに立候補した者が有利になるのは当然で、彼は破れてしまいました。
 次男にとっては、自他共に次期の主将と思われていたのに、思わぬ結果になってしまったことは、自分自身の恥と感じる以上に、確かに剣道の実力は彼と並んで他の部員からは抜きん出るとはいえ、朝練にほとんど出てこないで練習をしなくとも強いことを自慢げにする者が、次男が高校生活の殆んどをかけた剣道部のリーダーになることは慙愧に耐えなかったはずです。後になってその結果を知った監督が、その選挙に立ち会っていた主将を叱責しましたが、曲がりなりにも正当に行われた選挙の結果を覆すことは起こり得ないことでした。
 このところ次男の顔色が優れないのは、そんな理由があったことが、やはり剣道をしている兄の話の端はしから読み取れました。しかし、私から彼を勇気付ける言葉も見つからないし、それで彼の気が治まるとは思えませんでした。1週間ほど過ぎた日曜日に、久しぶりに二人で私のいつも走るコースである近くの高松山に10kmほどのジョギングに出かけました。
 走りながら、「剣道は上手くいっているか」と声を掛かると、黙ってうなづいて、「これからもっとがんばろうと思う」と答えました。それは、とても爽やかな素晴らしい顔つきでしたので、「兄ちゃんが言っていたが剣道部の主将はK君になったんだって?」と言うと、「そう、それでもっと剣道をがんばらなければと思ってるんだ」と答えたのです。そして次男は、「K君は剣道の才能があるから主将になって練習に打ち込めば、K君自身がきっともっと強くなるし、みんなもキチンと練習するようになれば部全体が良くなると思う。だから自分もK君を支えて、県大会で優勝できるようがんばるよ」と続けたのです。
私は思わず、「お前はたいしたもんだ」と彼の背中を叩きました。俺が俺がでなく、みんなとともに生きることが、特にクラブ活動では大切なことは言うまでもありません。次男が自分の置かれた悔しさを相手に向けないで、その心のバランスを保ち続けてくれたことを、親として誇らしくさえ思ったのです。
後日談ですが、次男は剣道部の主将にならなかったことから、みんなの推薦を受けて無競争で生徒会長になり、さらに運動で活躍しながら生徒会長となったことが幸いして、希望する大学に推薦入学することが出来たのです。それは親として、我が子に「あたたかい心」を育んだことが、良い結果をもたらしたことを実感した出来事でした。

8) タロウの死
タロウは、私たちが一軒家を構えた時に、親しくしている開業医の方から頂いた柴犬です。私が、子供たちの為にも何時かは犬の飼いたい、と言っていたのを覚えていてくださったからです、その先生は、愛犬家で何匹かの血統書付きの犬を飼っており、その子どもの一匹がタロウでした。
 雌の方が良いかも知れません、という忠告にもかかわらず雄犬を頂いたのですが、なぜ雌犬を薦められたかは間もなく明らかとなりました。元々柴犬は猟犬であり、気が強い上に狼系の犬の特徴として家の中で一番偉い人を主人として見分け、それ以外の家族は自分と同等かそれ以下に見るのです。タロウの父親は車に引かれそうになった時、そのタイヤに噛み付いたという武勇伝の持ち主で、タロウもそれに負けない気の強い犬であり、番犬としては最高でした。
 しかし子ども達や家内にとっては、あれだけ面倒を見てやっているのに、と嘆くほど気が向かないと全く言うことを聞かないのです。子ども達がまだ小さい頃には、散歩に行くと、自分の行きたいところに連れて行け、とばかり綱を持つ子どもを威嚇し、子どもが、タロウにまたいじめられた、と泣いて帰ってくることがありました。それでも、なぜか子ども達はタロウ・タロウと可愛がっていたのです。
 そのタロウが歳を取って目が見えなくなく、散歩で頭をぶっつけて電信柱に咆えたりする様になりました。やがてあれ程元気なであったタロウも足腰が立たなくなり、家内が買ってきた犬用のオムツをされ、洗面所の一角にダンボールで作られたタロウ用の病室のような空間で2−3週間過ごしていました。
タロウが亡くなった時、気丈夫な家内が珍しく涙声で診療中の私に電話を掛けてきました。何故か虫の知らせのように、今までしたことが無かったのに大人しくなっていたタロウを抱きかかえて、リビングルームのソファーに座ってテレビを見ていたら、急に太郎が軽くなったような気がして太郎を見ると息を引き取っていた、ということでした。私は、予想していたので少し事務的な話し方で、タロウの具合が悪いことを心配していたアメリカにいる長女にも連絡するように、と答えて電話を切りました。
 しばらくして、家内から再び電話があり、華子がこれから帰ってくるのでタロウを火葬にするのを待ってくれ、と言っていると告げてきたので、今図書館学の修士課程を終える大事な時に犬が死んだくらいで帰ってくるとは、と家内を叱責してしまいました。しかし家内は、長女が帰って来たいと言うのだからそうさせたい、と答えたのです。確かに、小さなときから長女の人生はいつもタロウと一緒でした。
犬とはいえタロウの死は、長女にとって初めての最も身近な死の体験でした。泣きながら飛行場に駆けつけ、アメリカから日本までの航空券を購入する若い女学生を見て、カウンターの職員が、どうしましたか、と尋ねたのは当然でした。笑い話のようになりますが、長女は家族の一員が亡くなったので帰国する、と答えたことは、タロウは彼女にとって正に家族の一員でしたので、間違いではありませんでした。航空会社の慣例なのでしょう、身内の不幸の緊急時は航空料金が半額になるという特別な扱いを受けて、長女は次の日には帰宅しました。
 丁度雪の積もった寒い日々であったので、長女は火葬の前に亡くなったタロウに会うことが出来たのです。氷のように冷たくなっているタロウを抱きかかえて、少し涙ぐみながらも彼女の顔は喜びに満ちたように輝いていました。もう会えないと諦めていたタロウに、僅かな時間でも会えたからでしょう。
 タロウは私以外の家族には無愛想で、決してベタベタ甘える犬ではなかったのに、これだけみんなに愛されていたのです。生き物が本来持つ有情(うじょう)と呼ばれる「あたたかい心」が、その生き物に関わる人に働きかける不思議な作用なのでしょうか。それでも、その生き物が持つ有情を感じ取る感性がなければ、動物を愛することはできないでしょう。その感性は「あたたかい心」に通じるものであり、それを私たちの家族が持っていたから、と思っています。その意味で、タロウの死を巡るエピソードは、私の家族の心のあたたかさを再認識させてくれました。
 冗談に、私もタロウのように抱き抱えられて往生したいと言うと家内は怒りますが、タロウがみんなの愛に包まれた幸せな生涯であったことは間違いありません。

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終わりに あたたかい心が幸せのキーワード

 くどいほど「あたたかい心」の言葉が出てきてウンザリされたかもしれませんが、脳のネットワークが出来つつある幼い時に「あたたかい心」を育んであげることが、子どもにとってどんなに重要であるか、理解出来たのではないでしょうか。頭の良い子よりも心のやさしい子の方が、必ず幸せな人生を送ることが出来ます。その心のやさしさは、生まれつきの遺伝よりも、その子どもが育てられる環境によって育まれるのです。
 この本では、少し難しかったかもしれませんが、あたたかい心を育むことに関連した最新の脳科学についても解説しました。それによって、可愛がられた子どもはやさしくなり、いじめられた子どもは意地悪になる、といった単なる経験的な知識でなく、脳発育そのものが影響を受けていることが理解できことは、お母様方の育児の実践に大いに役立つことでしょう。
 勿論可愛がるということは愛情を注ぐということで、子どもの好きなようにさせて甘やかすこととは違います。躾は「ベタベタした優しさではなく生きる上の厳しさに根ざしたやさしさ」である、と述べられている如く、人という生き物は共に生きる社会的存在にならなければなりません。最後の第10章で、あえて筆者の子育ての一端をお示ししましたが、極平凡な家庭ながら、あたたかい心を持った子ども達の姿に何かを感じていただければ望外の喜びです

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